FC2ブログ
湾鉄調査部
元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
広告


プロフィール

therapie

Author:therapie
 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
 筆者転居のため、最近は福岡市内の情報をメインに書いています。
 自分の興味が向いたものを、自分勝手に調査しています。
 今のところ、基本的に毎週日曜日に更新しています。
 お問い合わせはメールフォームからお願いします。



最近の記事



カテゴリ



最近のコメント



最近のトラックバック



ブログ内検索



月別アーカイブ



RSSフィード



リンク


ブログパーツ類
あわせて読みたいブログパーツ

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村 鉄道ブログへ

ジオターゲティング


検索






Join the Blue Ribbon Online Free Speech Campaign


電灯事業から見た西日本鉄道の成立(1)~九州電燈鉄道編
 宮地岳線(現貝塚線)を運営していた西日本鉄道は、1942(昭和17)年に5つの鉄道会社が合併して誕生しました。
 一般的には次のように説明されています。

 1942年(昭和17年)には陸上交通事業調整法に対応するため、九州電気軌道・福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船(湾鉄)・筑前参宮鉄道の5社が合併し、西日本鉄道が発足した。登記上は九州電気軌道(本社・小倉市砂津)による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している。また合併と同時に小倉地区への戦災を恐れ、西鉄発足と同時に本社を福岡市西新に移転、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった太田清蔵により命名されたものである。
(参照)

 しかし、形式上吸収した九州電気軌道(九軌)は以前書いたように4000万円もの不正手形を出した煽りで経営危機に陥った会社です(関連関連関連)。

このほか、北九州地区と福岡市を結ぶ高速鉄道を計画して折尾から福岡市馬場新町(現在の博多区祇園、当時の国鉄博多駅前)への路線の特許を取得し、用地取得と建設工事を行ったが、1930年(昭和5年)に前社長松本枩蔵による手形の不正発行(九軌不正手形事件)が発覚したため事業を中止し、1933年(昭和8年)に特許を返納している(詳細は筑豊電気軌道線の記事を参照)。
(参照)

 そんな会社がなぜ他の4社を吸収できたのでしょうか?

<九州電燈鉄道と九州鉄道>

 その謎を解くためには、福岡県の電力事業と絡めて、西鉄の前身を見ていく必要があるようです。
 まずは、九州鉄道と福博電車の前身の一つである九州電燈鉄道の来歴を見てみます。

<博多電燈の成立>

 まずできたのは、博多電燈という電力会社です。

福岡市における電気事業起業の契機は、先に開業した東京の事業者からの勧誘であった。九州に電気事業が起る前の1889年(明治22年)のことで、品川電灯社長の岩下清周らが福岡を訪れ、地元の有力者に電気事業の起業を勧誘したのである。勧誘に応じて鋳物商磯野七平・油商太田清蔵らが起業に向けた調査を始めた。翌年に始まる恐慌や帝国議会仮議事堂の漏電火災の影響で実際の会社設立は遅滞するが、県会議員らによる「福博電灯」設立の動き(1893年8月会社設立出願)に刺激されて前進し、博多商業会議所に博多電灯創立事務所を開設して設立準備が進められた。日清戦争の影響で会社設立はさらに遅れるが、1895年(明治28年)10月に当局へ博多電灯の設立を出願、翌1896年(明治29年)1月にその許可を受けた。そして同年3月26日に創立総会が開催され、ここに博多電灯株式会社が成立をみた。
発足時の博多電灯の資本金は5万円。総株数は2,000株で、700株を発起人にて引き受け、残りの1,300株は需要家を確実に得る意図から供給予約とセットで公募した。ただし電気事業についての理解がいまだ浅い時代であったことから株式の公募は不振であった。
社長には磯野七平が就任し、その他役員には太田清蔵らが名を列ねた。役員はすべて博多の商人または福岡の銀行家であり、当初の博多電灯は地元企業としての色彩が強かったといえる。
(九州電灯鉄道 - Wikipedia)

 ここに出た太田清蔵(参照)は、先ほど「5社合併時の博多湾鉄道汽船社長」として出ていましたね。
 博多電燈では、発起人でもあり取締役にも就任していた様です(参照)。

<福博電気軌道の成立>

 その、博多電燈の関係者が設立したのが、福博電気軌道です。

 1909年(明治42年)8月31日、福澤諭吉の養子で実業家であった福澤桃介が、大阪市において発起集会を開いたのがこの会社の始まりである。福澤桃介が社長、松永安左エ門が専務となり設立される。
 元々、福岡における配電事業を行っていた博多電燈が、明治30年代に余剰電力を活用して電車の運行を計画していたことはあったが、この当時は市の人口が8万人程度となっていたものの、乗客需要についての予測が不透明であることと、予算の問題で見送られていた。
 また福岡市においても、既に1895年(明治28年)の京都電気鉄道(→京都市電)をはじめとして、大都市においては路面電車が普及し始めていたことから、発展を図るために導入を計画していた。しかし市も財政難に苦しんでおり、自ら敷設を行うことは不可能と考え、博多電燈の相談役も務めていた福澤桃介に設立を依頼したのである。
 福澤は、自らの調査で福岡市においても電車事業は採算が取れると考え、50年後に事業を市に無償で譲渡する条件をつける代わりに、市の収得していた敷設免許を撤回するという条件をつけ、会社の設立に至った。
(参照)

 この市との交渉の結果が、いわゆる福岡市と西鉄の「50年戦争」(参照)に繋がるのですね。

 後に別会社の博多電気軌道を設立する渡辺與八郎も、この計画を歓迎していたとの事です。
 しかし、出資については及び腰だったそうで、12000株のうちようやく2000株分を地元で集めたのだそうです。
 ちなみに太田清蔵は監査役になっています(参照)。

 博多電燈と福博電気軌道は、1911(明治44)年11月2日に合併して博多電燈軌道になりました(参照)。

<九州電燈鉄道の成立>

 博多電燈や福博電気軌道が設立された1900年代初頭に長距離送電が実用化されました。
 そして、大容量に発電できる水力発電所から消費地までの送電が可能になりました(参照参照)。

 後述する(関連)九州水力電気も、そういった流れで作られた会社です。

 博多電灯社内で水力発電の優位性を主張していた役員牟田万次郎は、1906年に 広滝水力電気という会社を設立させます(参照)。
 広滝水力電気は、脊振山系にて水力発電を行って、周辺の消費地に送電する会社でした。
 後に九州電気と改称したこの会社には、前述の福澤桃介と松永安左エ門が参加していました(参照)。

 元々関係が深かったのもあり、博多電燈軌道と九州電気は1912(明治45)年6月25日に合併して九州電燈鉄道になりました(参照参照参照)。

1911年(明治44年)11月2日、路線規模の拡大に伴い自前だけでは電力の調達が不可能になったことから、前述した博多電燈との合併を決定し、社名を博多電燈軌道とする。
しかし、翌1912年(明治45年)6月25日には九州電気と合併したため、早々と社名を九州電燈鉄道に改めた。1913年(大正2年)には、軽便鉄道の唐津軌道を合併している。
なおこの頃、博多電気軌道と呼ばれる会社が独自に別の路面電車の敷設を開始しており、競合が起こるようになった。同社は1914年(大正3年)に福岡市街の環状線を完成させており、西新と市街との間では路線が並行していた。
1922年(大正11年)6月5日、箱崎 - 工科前(→九大前)間を開業させると、6月25日にはさらなる事業拡大のため、福澤桃介が兼営していた関西電力(現在の関西電力とは別)と合併し、東邦電力を設立する。資本力の強化により、給電と軌道営業の安定化を図ることも目的となった。
福博電気軌道 - Wikipedia


<九州鉄道の成立>

 その一方で、九州電燈鉄道の関係者が、現在の大牟田線系統の前身である九州鉄道を設立します。

九州電燈鉄道(のちの福博電車→西鉄福岡市内線の一部)を経営していた伊丹弥太郎、松永安左エ門らが発起人となり、1914年(大正3年)に福岡 - 二日市間の特許を得て、1915年(大正4年)に筑紫電気軌道(ちくしでんききどう)株式会社の名で設立された。当初は社名が示すように福岡市と二日市町(現・筑紫野市)の間に軌道法による直流600Vの電気鉄道を敷設し、二日市で既存の太宰府軌道(1902年(明治35年)開業、現在の西鉄太宰府線)に連絡して太宰府天満宮への参詣客を輸送することを目的として設立されたのであった。
(参照)

 ただ、これはまた別の話・・・。

<東邦電力の成立>

 九州電燈鉄道はさらに関西電力(当時)と合併して東邦電力となります(参照)。

1921年に関西水力電気と名古屋電燈が合併し、関西電気が設立。翌1922年に関西電気と九州電燈鉄道の合併に伴い、九州北部、近畿、中部(1府11県)に及ぶ事業を行うようになったため、東邦電力と改称した。社長は、九州電燈鉄道出身の伊丹弥太郎・副社長は松永で、本社は東京に置かれた。発足時の供給区域は1府11県(愛知県、岐阜県、静岡県、三重県、京都府、奈良県、山口県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県)15市112町596村であった。
(東邦電力 - Wikipedia)

 この電力事業との関係が、現在の西鉄甘木線などの前身である三井電気軌道の理由にもなっているようです。

1924年4月12日に九州鉄道が福岡 - 久留米間を開業させ、久留米市内で九州鉄道と三井電気軌道の路線の平面交差が生じた。また、三井電気軌道は九州鉄道の親会社である九州電燈鉄道(1922年に東邦電力となる)から電力供給を受けていたが、1920年に九州電燈鉄道と競合する九州水力電気と受電契約を結んだ。これに加え、九州鉄道が三井郡内で構想していた不動産事業用地が三井電気軌道の電気事業区域にあった。このような経緯から、九州鉄道では久留米市内の平面交差における連絡を円滑化するとともに、三井電気軌道の電力事業を自社傘下に収め、東邦電力の電力供給区域を保全することを目的として、1924年6月30日、三井電気軌道を吸収合併した。
三井電気軌道 - Wikipedia

 ちなみに、西部ガスも元々は同じ会社だったらしいです。

四大都市ガスのうち、名古屋エリアを本拠とする東邦瓦斯と福岡・北九州エリアを本拠とする西部瓦斯は、共に東邦電力のガス事業部門を母体としている。1922年(大正11年)、関西電気が九州電燈鉄道と合併し、東邦電力と改称した際、それまで営んでいたガス事業部門を独立させ、名古屋瓦斯株式会社を買収した上で、ガス事業専業の会社・東邦瓦斯として設立された。1933年に福岡エリアを西部瓦斯として分離・独立させた。
東邦電力 - Wikipedia

 電気・ガス・鉄道の複合企業東邦電力ですが、鉄道は真っ先に分離されることになります(次回に続く)。
関連記事
スポンサーサイト

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ にほんブログ村 政治ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログへ
Keyword : 西鉄宮地岳線(現貝塚線) 西日本鉄道 西鉄 歴史 古賀市 福岡市 福津市 新宮町

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://wantetsu.blog61.fc2.com/tb.php/1009-d7abab5d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



当ブログはリンクフリーです。
ただし、匿名掲示板からのリンクは管理者であろうとも禁止します。
不適当だと判断したコメント・トラックバックは掲載しません。
情報の正確性には常に留意しておりますが、その検証能力には限りがあります。
このサイトにより生じたいかなる損害においても責任は負いかねますのでご了承ください。