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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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福岡城の手作り模型を見に行きました
 先日、ソラリアプラザに行きました。
 なんでも、福岡城やその他黒田氏が筑前国内に作ったお城の模型が飾られるという事で、こりゃ見なきゃいかんと駆けつけたわけです(^_^;)
 黒田官兵衛が大河ドラマ化(参照)って事で、郷土史マニア家たちも大喜び。
 さぞかし会場は賑やかになってる事でしょう。楽しみじゃ。

 福岡藩52万石を治めた黒田家の居城「福岡城」や領内の支城などを再現した大型模型を展示する「福岡城と筑前城郭展」が18日、福岡市・天神の西鉄ソラリアプラザ1階で始まった。入場無料。20日まで。
 地域の礎を築いた先人の歴史に触れてもらおうと、歴史を通じた町おこしに取り組む「筑前城郭研究会」が企画。同会の小田原早嗣(はやつぐ)会長(69)をはじめメンバーが約9年間かけて作った。
 本丸、二の丸、南の丸に、藩内の六つの支城の総称「六端城(ろくはじょう)」のうち4城も展示。存在をめぐり論争が続く天守閣も作った。「当時の生活の様子も知ってもらいたい」(小田原会長)と、各城の部屋や廊下などの内部も木や厚紙で精巧に再現されている。
 同市早良区から訪れた藤田あつしさん(77)は「非常に細かくよくできている。作った人の苦労が目に浮かぶようです」と見入っていた。
 19日午後1時から、同展を共催する筑前黒田武士顕彰会による柳生新影流の演武披露もある。
(福岡城を精巧に再現・2013年2月19日付 西日本新聞朝刊)

 行ってみると、福岡城むかし探訪館にも福岡城の模型がありますが(参照)、こちらの方が手作り感と愛情がこもっている感じです。
 たくさんのお年寄りが集まっていて、どんたく以外でこんなにお年寄りが天神に集結しているのを見たのははじめてでした(^_^;)

<出城作って丸損>

 しかし、福岡藩に6つも出城があったとは知りませんでした。
 会場の説明によると、中津から名島に移る際、黒田長政(1568.12.21-1623.8.29・参照)が中津で年貢を徴収して行ったらしいんですね。
 これは、普通の行為ではないそうで、国替えの時は年貢を後の領主に残しとくのが普通だったとか。
 で、後に入った細川忠興(1563.11.28-1646.1.18・細川ガラシャの夫・参照)が大激怒。
 そりゃ、年貢取りに行ったらもう収めましたよと言われりゃ誰でも怒りますわな(^_^;)
 で、黒田長政はヤバしと細川領との国境に6つ出城を作ったという事らしいんです。
 本当かどうか知らんけど(^_^;)

 しかし、集めた年貢より、城6つ作る方がはるかに金掛ったんじゃないでしょうかねぇ・・・。
 当時の領地は12万5000石だったよう(参照)です。
 1石が1000合で、約180.39リットル(参照)。およそ150kgでおよそ37500円という試算があるのだそうです(参照)。
 そうなると、46億8750万円ほど儲かったのだろうと思いますが、城6つだと如何ほどなのか・・・。

 大林組の試算では、城1つ560億円と言われていて(参照)、掛川城天守閣復元費用が周辺工事含めて22億円以上だそうです(参照)。

 出城だからそんなにかからないのでしょうが、櫓一つで数億かかるのでしょうから、そんなに安いものでもないでしょう。
 領民使えば人件費が浮くよという意見もあるでしょうが、新しい領主が来ていきなりばんばん城を造られた日には超ムカつくこと請け合いです。

 まあ、とにかく黒田氏は最初からそんな無駄使いをしてしまっちゃってるようなのです。
 ですが、黒田家の丸損伝説はこれだけに止まりません。

<石高増えて丸損>

 中津時代の黒田家は最終的に18万石だったそうです(参照)が、小早川領時代の筑前国は30万7,000石(参照参照)。
 まあ、出世なのでしょうが、与えられた時は37万石だったのが検地後52万3,000石になったようなので(参照)、ひょっとしたら検地の際に結構下駄を穿かせたのかもしれません。
 とりあえず、その石高の通り幕府からお仕事が来たりするわけですから、かえってお金がかかって損だったのではないかと思います。

<鎖国で丸損>

 戦国期、博多争奪戦が繰り広げられ、博多は焦土と化したようです。
 それもこれもみんな貿易の利権のため。
 ところが鎖国になって、貿易港博多も儲からなくなってしまいます。

 ただし、佐賀藩と月番で長崎警護役をやっていたので、多少は旨味もあったようです。

(5)長崎警護 佐賀鍋島藩は福岡黒田藩との交代で長崎警護を申し付けられており、隔年に1000名の武士を警備のために長崎に派遣しなければならなかった。 鍋島藩にとって、長崎警護は負担の重い役目ではあったが、役目を通じ長崎警備の名目で、海外取引・貿易(密貿易)・幕府並輸入関税(無税)等十分すぎるくらいの旨味もあった。他藩と競合する輸入品や輸入禁止の書物類についても、ほぼ独占的 に手に入れることができた。
(参照)。

 また、平野邦雄・飯田久雄 福岡県の歴史によると、鎖国後も1698(元禄11)年までは、今までの実績で博多商人には中国産絹糸の割り当てがあったのだそうです。

 そうは言っても、自由に貿易できてた頃と比べたら雲泥の差でしょう。

 本当は密貿易でもやりたかったでしょうが、鎖国後30年経たないうちに密貿易で商人の伊藤小左衛門が磔になっています(参照参照参照参照)。
 こんな厳しいときに密貿易できるのは、超長期政権の島津様以外おりますまい(^_^;)


<石の呪い>

 そんなこんなで丸損続きのDNAは、今の福岡市政に脈々と受け継がれているようで、未だに人工島は売れません(^_^;)。
 人工島と言えば、ケヤキに庭石で墓穴を掘りましたが、福岡城も石の確保には苦労していたようなのです。

 先の福岡県の歴史によれば、名島城の石材や平尾、高宮にあった古墳の石材も使ったそうです。
 一説によると、元寇に備えて築かれた防塁の石も使ったとか何とか。
 この防塁のおかげて「石城」という別称もあったらしいのですが(参照)、さぞかし景観が変わった事でしょう。

 福岡市南区寺塚の穴観音(興宗禅寺)の説明板によると、あまりに古墳を壊したので黒田長政の夢枕に何者かが立って怒られちゃったらしいです。
 で、他の古墳の分も供養するとかで穴観音遺跡だけは残されたのだとか(参照)。

 あの庭石問題は、この呪いの続きだったりして・・・。
 福岡の人は、あまり石に固執してはいかんようです(^_^;)
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