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九州地方総監府
 昨日書いた記事に関連して道州制論議の資料を読んでいたら、「地方総監府」というものを見つけました。

道州制をめぐる議論は戦前から見られ、代表的なものとして、昭和2年に田中義一内閣の行政制度審議会がまとめた「州庁」設置案(府県をそのまま完全自治体とし、それとは別に国の行政機関として州庁を置く案)がある。当時、地方分権や自治権の拡充が求められたことから同案が策定されたものの、実施されることはなかった。その後、主として経済行政の統制について府県相互間の連絡調整を図るため、昭和15 年、各地方の府県知事らが参加する会議体である地方連絡協議会が設けられ(昭和18年には、各地方における国の出先機関の長を加えた地方行政協議会に発展した。)、昭和20年6月には、本土決戦体制の一環として、地方行政協議会に代わり、都道府県を残したまま、国の出先機関として全国に8つの地方総監府が設けられた。
(原田光隆 道州制をめぐる議論―これまでの議論と道州制導入の意義及び課題― 2012)


<州庁設置案から地方総監府まで>

 この、1927年に田中義一内閣の行政制度審議会が出した州庁設置案では、既に道であった北海道を除く日本本土を次の6つにまとめています(参照)。

  • 仙台州:青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県、山形県

  • 東京州:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県、山梨県、長野県、新潟県

  • 名古屋州:静岡県、愛知県、岐阜県、三重県、富山県、石川県、福井県

  • 大阪州:滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、徳島県、香川県、高知県

  • 広島州:鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、愛媛県

  • 福岡州:福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、宮崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県


 この提案は実現しなかったものの、府県行政を調整して広域行政体を統合する国の出先として、1940年に地方連絡協議会が設置され、1942年に地方各庁連絡協議会になり、1943年に地方行政協議会となったようです(参照)。

<「本土決戦体制の一環」だけではない地方総監府>

 さて、この地方行政協議会が1975年に地方総監府に改名されます。
 地方総監府というと、何となく軍関係の機関のような気がします。
 一般的には、先の引用文中にあるように「本土決戦体制の一環」と理解されているようです。
 ところが九州経済産業局沿革略図を見ると、電力や燃料も所管していたようです。
 地方総監府制を導入した国務大臣の下村宏に関する研究を読んでみると、どうも道州制の導入につなげる意図があったようです(参照)。
 「各総監府は、中央政府から広汎な権限を委譲され、地方長官および各省の地方出先官庁の首長を指揮して、陸軍軍管区司令部および海軍鎮守府と協力し、三者で地方連絡会議を構成、その地方における作戦と行政を、強力かつ一体的に統轄する「地方政府」的機能を持ち、情勢の推移に応じて、迅速果敢な臨機の措置をこうずることを目的として設置され、しばしば管下各県の知事を召集して会議を開いた」とあります(参照)。

<地方総監と府県知事>

 地方総監府は都道府県の上位に位置づけられ、府県とも軍とも別の独立した組織だったようです。
 しかし、「総監に任命されたのは多くの場合、総監府所在地の都道府県知事の任にあった人物」だったそうです。
 「関東信越地方総監は東京都長官の兼任」だったそうですが、1945年6月10日に九州地方総監になった(参照)戸塚九一郎は、前日まで福岡県知事(参照)。
 地方行政協議会では府県知事と兼任だったようです(参照)が、九州地方総監は兼任ではなかったようで、同日に山田俊介が福岡県知事に就任しています(参照)。

<地方総監府と軍管区の対応>

 この地方総監府は、全国で8つ。当時の軍管区に対応していたそうです。
 調べてみると軍管区も昭和20年6月に再編されたようで、日本本土は北部軍管区(北海道・南樺太・千島列島:札幌)、東北軍管区(東北:仙台)、東部軍管区(関東信越:東京)、東海軍管区(東海北陸:名古屋)、中部軍管区(近畿:大阪)、中国軍管区(中国:広島)、四国軍管区(四国:善通寺?)、西部軍管区(九州:久留米?)の8つに分かれていたようです(参照)。
 対応しているとはいえ名称は微妙に違っていたらしく、北部軍管区に対応するのは北海地方総監府。東部軍管区に対応するのは関東信越地方総監府。東海軍管区に対応するのは東海北陸地方総監府。中部軍管区に対応するのは近畿地方総監府。西部軍管区に対応するのは九州地方総監府だったようです(参照)。
 また、四国と九州は所在地も異なっていて、それぞれ高松と福岡にあったようです(参照)。

 後述しますが、西部軍司令部がどこであったのかも今のところ僕はよく分かっていません。


<旧日本軍の区割り>

 道州制では区割りも問題になりますが、旧日本軍の区割りは比較的調べやすいのでこれを機会に調べておきます。

 ここでは、旧日本陸軍のものを見ていきます。
 旧日本海軍は志願が基本であり、海軍で徴兵される場合も検査は陸軍が一括していたという事らしいので・・・(参照)。

 まず最初は、明治4年4月23日(1871年6月10日)に、東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)と西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)を設置したのが最初のようです。
 これが、明治4年8月20日(1871年10月4日)に東北鎮台(後に仙台鎮台に改称)、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮台(後に熊本鎮台に改称)に改組され、それぞれが管轄する地域を定めたようです(参照)。
 この辺りで全国が区割りされたという事になるのでしょうか。
 1873(明治6)年1月9日に名古屋鎮台、広島鎮台を加えて6鎮台制になります(参照)。
 で、同年7月19日に鎮台条例が制定されて、6鎮台・7軍管・14師管の体制が整えられた(参照)そうです。
 九州地方は、熊本鎮台の第6軍管の下に熊本の第13師管と小倉の第14師管が設けられたようです(参照)。
 この後、1888(明治21)年5月12日に鎮台が師団に改組されます。
 この際に名称が変わり、熊本の第6師団が管轄する第6師管の中に熊本の第11旅団が管轄する第11旅管と、小倉の第12旅団が管轄する第12旅管になったようです(参照)。

 1896(明治29)年4月1日に旅管が廃止されて師管に改編されたため、九州が2つに分けられたようです。
 熊本の第6師団が管轄する第6師管には、熊本、大村、鹿児島、宮崎の連隊区と大島、沖縄、五島、対馬の警備隊区がおかれたようです。熊本、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄を管轄していたようですね。
 一方で、小倉の第12師団が管轄する第12師管には、小倉、大分、久留米(後に福岡)、佐賀の連隊区がおかれたようです(参照)。

 1903(明治36)年2月13日に、師管の下に旅管が新設されたようです。
 その際に、若干管轄区域の移動があったようで、熊本の第6師管の下に熊本、鹿児島の連隊区と大島、沖縄の警備隊区を持つ第11旅管と、宮崎、久留米の連隊区を持つ第24旅管があったようです。
 つまり、熊本、鹿児島、沖縄、宮崎の他に福岡県南部も管轄だったようで、その代わりに長崎が抜けたようです。
 一方、小倉の第12師管には、小倉、大分の連隊区を持つ第12旅管と、福岡、大村の連隊区と五島、対馬の警備隊区を持つ第23旅管があったようです(参照)。
 しかし、1925(大正14)年に第12師団は久留米に移転している(参照)そうです。理由は、軍縮のためとか(参照参照)。
 恐らく、それ以前に区割りの変更が行われているのでしょうが、今のところ良く分かりません。

<西部軍管区の誕生と司令部の場所>

 そして、1935(昭和10)年8月1日に日本本土を東部・中部・西部の三つの区域に分けて、それぞれの防衛司令部を新設しています(参照)。
 西部防衛司令部は中国・四国・九州地方を管轄していて(参照)いました。
 司令部は「第12師団司令部が兼ねた」そうなので(参照)、久留米にあったのでしょう(参照)。
 ところが、1945(昭和20)年2月1日に、第16方面軍が編成されて西部軍は廃止。
 それじゃあ、地方総監府と対応したって記述は嘘かいと思ったら、「その後は第16方面軍司令部が西部軍管区司令部を兼ね九州地方の軍政を統括した」とあります(参照)。
 余った(?)中国・四国地方は第15方面軍司令部が兼ねた中部軍管区司令部の管轄になり、6月12日に広島師管区司令部を中国軍管区司令部に、善通寺師管区司令部を四国軍管区司令部に改称したそうです(参照参照)。
 地方総監部が設置されたのが6月10日(参照)ですから、この再編はほぼ同時期に当たります。

 さて、九州地方総監部はどこにあったのでしょう。
 調べてみると、福岡県庁内(現・天神中央公園)にあったようです(参照)。

 ちなみに、中国地方総監府の所在地はめちゃめちゃ詳しく分かっています(参照参照)。

 この資料によると、福岡城址に第16方面軍事司令部と西部軍管区司令部があったそうです(参照)。
 他にネット上で資料を見つけられなかったので断言できませんが、地方総監部設置と同じ頃には福岡市に移転していたのかもしれません。

 で、第16方面軍司令部の最終位置は、福岡県二日市(現筑紫野市)だそうです(参照参照)。
 どうやらこれは地下壕であったようで、今でも筑紫野市山家に記念碑等が残っているとの事です(参照)。

<再編が生んだ悲劇?>

 さて、この再編が悲劇を生んだとする人もいます。

 警報放送というと、とかく軍管区司令部に結びつけて考えられがちである。東京、大阪、福岡ではそれが常識であった。しかし、中国軍管区についていえば、広島中央放送局とそれほど深いつながりがうまれるまでにはいたっていなかった。中国軍管区が設置されたのは一九四五年六月二三日のこと、同司令部の発令で広島中央放送局が管内に警報放送を流したのは、部分的には六月末からであるが、全面的には七月下旬とみられるからである。したがって両者を結ぶラインは僅か半月の生命にすぎなかった。
 戦時中、放送局は軍管区によって分けられ、司令部に掌握されていた。グループごとに電波管制のため群別同一周波放送放送が実施され、それものちに警報中継系統のために、再編成された。広島中央放送局は、いずれのグループ分けにも、それほど重要視されていなかった。中央放送局でありながら、三つの軍管区を転々とすることになる。
 一九四一年末、防空効果を主眼にして全国が五つに群別化されたとき、広島中央放送局は、西部軍管区内におかれ、九州、四国西部とともに第五群一〇〇〇キロサイクル地域に属した。四四年一〇月、警報中継系統の統一で全国が四つに群別化されたとき、第四群、西部軍管区におかれた。四五年二月、軍管区改正で全国が六軍管区に分れたとき、第五群、中部軍管区にかわった。警報放送は、このとき西部軍(福岡放送局担当)から中部軍(大阪中央放送局担当)にかわったのである。中国地方の警報も大阪城の中部軍管区司令部地下室の特別放送室から送出された。六月二三日中国軍管区が設置された。だが広島城にある地下作戦室から独自の警報放送をだしはじめるのは、原爆投下の半月ほどまえのことである。
(白井久夫 幻の声NHK広島8月6日 岩波新書 1992年)

 つまり、管轄をコロコロ変えなければ空襲警報を早く出すことができ、被害を多少は軽減できたのではないかということのようです。
 その意見が正しいのかどうか意見は分かれるでしょうし検証しようもないでしょうが、仮に道州制が導入されるとして、より多くの人が恩恵を蒙る事の出来る仕組みであってほしいものです。

【2013年6月12日追記】

 こんな新聞記事が出ていましたよ。
 なんでも、パリ郊外で開かれるジャパンエキスポで福岡市が紹介されるのだとか。
 しかも、州都候補熊本市も熊本県のくまモン(参照)も参加するらしいというのに「九州の首都」という肩書だそうです。
 大丈夫か??フランスで喧嘩しないでよ?(^_^;)

 【パリ国分健史】7月4~7日にパリ郊外で開く世界最大規模の日本ポップ文化の祭典「第14回ジャパンエキスポ」で、「九州の首都」として福岡市を紹介する特別の展示が行われることになった。
 福岡市のエキスポ出展は昨年に次いで2回目だが、今回は主催者が日本の1都市を選んで紹介する企画展示に選定された。同市ブースで産業・観光PRを行うのに加えて、特別スペースで写真パネルや博多人形、博多織などの特産品を展示する予定。
 選定理由についてエキスポ副代表のトマ・シルデ氏は「3月に初めて福岡市を訪れて、大きすぎず小さすぎず、住みやすい街だと感じた。ゲームや音楽産業に力を入れていることにも注目している」と話した。
 今年のエキスポには日本から熊本市など9自治体が出展。熊本県の「くまモン」や滋賀県の「ひこにゃん」の人気ゆるキャラも参加。23万人の入場が見込まれている。
(「九州の首都」福岡市を紹介 7月、パリでジャパンエキスポ・2013年6月7日付 西日本新聞朝刊)


 フランス語で「首都」は「capitale」。英語の「capital」や日本語の「首都」同様に「中心地」という意味もあるそうなので、そういった軽い意味なのでしょう。多分(^_^;)


【2013年7月2日追記】

 西部軍司令部の詳しい位置ですが、現在の福岡高等裁判所の場所だったそうです(参照)。
 また、福岡城址にあった国立福岡中央病院(現国立病院機構 九州医療センター)は元陸軍病院でした(参照)。
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