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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
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他人のせいにする人々
 最近、「公正世界信念(the belief in a just world)」という言葉が話題になっているようです(参照参照)。
 公正世界信念というのは、アメリカの社会心理学者ラーナー(Melvin J. Lerner,1929-)が1980年に発表した仮説らしいです(参照参照)。
 これは、「『世界は公正にできており,努力した者は報われ,努力しない者は報われない』ということです。つまり,『良いことをした人には良いことが,悪いことをした人には悪いことが起こる』という信念(参照)」ということだそうです。
 因果応報って奴ですな。

 しかし、世の中そんなに甘く(?)ありません。
 悪い事をしていないのに、不幸な目に遭うのはよくあることです。
 この信念の持ち主は、そういった時に以下の4つに大別される考え方をすると言います(参照)。

  1. そんな人はいないと無視する

  2. この被害により、その人はよい人に生まれ変わる などの意味の解釈をおこなう

  3. やっぱりこの人には何らかの過失があったのだろう、と、いろいろ考え直す。

  4. やっぱりこの人はいやな性格に違いない、などと評価を変える



<理不尽な世の中>

 さて先日、そんな理不尽全開な世界の片隅で、知人がこぼしていました。
「ウチの上司は、自分では○○しないくせに、他人には○○しろと言う。」
 だから、僕は言いました。
「それはね。上司が自分ができることだけ部下に求めたら、その部署は上司の能力以上になれないからだよ。」
 それから、こう続けようとしてやめました。
「お前だって、自分がやらないことを、俺にやらせるやん。」

 元々、人間というものは、自分ができていないことに気づきにくく、他人のできていないことに敏感です(参照)。
 しかも、エラくなればなるほど注意されなくなり、自分ができていないことに気づきにくくなります。
 だから、上司や先輩は、自分ではできないことを、あなたに求めるのです。

 上司や先輩が自分にできないことを部下に求めたら、その部署は上司や先輩の能力以上の力を発揮できるようになります。
 あなたのクソのような上司や先輩のレベルで終わらないために、上司や先輩は自分のことを棚にあげないといけないのです。

<他人のせいにする人>

 自分の事を棚に上げる中で一番ムカつくのは、なんでも他人のせいにする輩でしょう。
 フラストレーション(frustration)の原因を外部に求めることを、心理学では外罰的(他罰的:extrapunitive)と呼んでいたと思います。

 内部に求める事を内罰的(自罰的:intropunitive)と言い、どこにも求めず紛らわしてしまう事を無罰的(impunitive)と言います。

 これは、アメリカの心理学者ローゼンツワイク(Saul Rosenzweig,1907-2004.8.9・参照)が、フラストレーションへの反応タイプを分類したものです(参照)。

フラストレーション
ふらすとれーしょん
frustration
本来は精神分析学の用語で、欲求不満、要求阻止などと訳され、欲求を阻止するような環境状況をさしたり、そのような状況に置かれた個人の内的状態や、その結果として表出される反応をさしたりする包括的なことばである。しかし一般には、欲求の満足がなんらかの障害によって達成できなかった八方ふさがりのやりきれない心境を、「フラストレーションに陥った」というように表現する場合が多い。フラストレーション状況を引き起こす妨害や障害は、かならずしも客観的に実在する事物や人とは限らない。主観的に妨害や障害と感じたり考えたりすることによっても引き起こされる場合がある。また、障害はいつも外部にあるわけではなく、能力の欠如のように本人の内部にあることもある。[辻 正三]

フラストレーション行動の諸説
(1)フラストレーション→攻撃仮説 攻撃行動の生起にはつねにフラストレーションの存在が前提とされており、またその逆にフラストレーションが存在すれば、つねになんらかの形式で攻撃が生じるとする説。攻撃は普通、妨害や障害になっている人や物に向けられるが、それが禁止されたり相手が強力であったりすれば、他の人や物に対する攻撃が代償行動として生じる。母親におやつをねだって断られた子供が、八つ当たりで罪のない弟や妹をいじめたりするのがその例である。
(2)フラストレーション→退行仮説 フラストレーションは、自我の構造を未分化、未発達な段階に後戻りさせ、未成熟な行動をおこさせるとする説。ひとりっ子としてかわいがられて育てられてきた子供が、弟妹の誕生によって親たちの関心がそのほうに奪われてしまい、以前のようにかまってもらえなくなると、指しゃぶりや夜尿を再発し、自分より幼い子供の行動に逆戻りする場合がこれにあたる。
(3)フラストレーション→異常固着仮説 フラストレーション状況での行動を動機づけを失った「目標のない行動」とみ、無意味な反応が異常に反復固執されるとする説。「知恵の輪」が解けず解決に役だたない操作を無意味に繰り返したり、劇場で火災が生じ、観客が狭い非常口に殺到してむやみに押し合いを繰り返していたりするのが、その例である。[辻 正三]

フラストレーション行動の類型
攻撃、退行、異常固着のうちどれがおもなものかは、簡単には決められない。人によっても事態によっても異なる。また、同じくフラストレーションのおこりそうな状況に置かれても、人によって冷静に問題を解決する者もいるし、フラストレーションの程度にも個人差がある。アメリカの心理学者ローゼンツワイクは、これを「フラストレーション耐性」とよんでいる。彼は、フラストレーションに対する反応を、あくまで欲求の満足に固執する型、自我を傷つけないように防衛する型、妨害者の存在を強調する障害優位型の三基本型と、攻撃が外の環境に向けられる外罰型、攻撃を自分に向ける自責感の強い内罰型、攻撃をどこへも向けず問題をもっともらしく紛らしてしまう無罰型の三反応型とに分けている。[辻 正三]
(フラストレーション(フラストレーション)とは - コトバンク)


<冤罪よりも悪い有罪>

 さて、上司が部下の欠点ばかり見えているとすれば、何か失敗があれば部下が悪いのだと考えがちです。
 もちろん、まったくの冤罪もあるでしょう。
 しかし、いろいろ観察してみたところ、本当に厄介なのは本当に部下も悪いと言える場合だと気づきました。

 失敗には、普通色々な要因があります。
 その中で、部下が関係している原因だけをクローズアップする手法を取る様子が観察できました。

 AさんがBしたため、CさんがDして、EさんがFして失敗した場合を考えてみます。
 Eさんが外罰的だった場合、「CがDしたのが悪い」とか「AがBしたのが悪い」とかいう事になるわけです。
 外罰的なのがCさんだった場合、「AがBしたのが悪い」とか「EがFしたのが悪い」となるわけですね。
 もっと言えば、他にミスらしいミスがなかった場合、周囲がチェックしなかったのが悪いとまで言います。

 また、自分がミスを防ぐ行為をクローズアップする手法も用いられます。
 ちょっと一瞬「大丈夫かな・・・。」と呟いたのを針小棒大に捉え、「あの時俺は止めたのに!」などという手法です。

 そういった思いは、誰にでもあるのかもしれません。
 しかし、それを口に出して押し通す人は稀だと思います。

 そういった人には注意しても無駄なので、誰も注意しなくなります。
 そして、ますます自分内無謬神話が強固になっていくわけです(^_^;)


 しかし、上司が自信薄弱だと組織の士気も上がらないわけで、ある程度は容認せざるを得ないのでしょう。

<外罰・内罰・無罰は一貫しているのか?>

 ローゼンツワイクは、この反応タイプで人格を分類できると考えていました。

さらにローゼンツワイク(S.Rosenzweig,)はフラストレーション状態における反応様式を分類し,要求固執型,障害優位型,自我防衛型とし,攻撃の向かう方向を外罰,内罰,無罰に分類して,これらの組合せによって人格を記述する方法を考えた。 彼はまた,フラストレーション状態にありながら,心理的不適応にならずに耐える能力が人間にあることを認め,それを〈フラストレーション耐性frustration tolerance〉と呼んだ。
(Rosenzweig,S.とは - コトバンク)

 外罰的な人とか内罰的な人とか無罰的な人とかよく使わる言葉です。

 しかし、観察をしていると、いつも同じ反応をするとは限らないようです。
 そういった意味で、外罰的な人というより外罰的傾向の人とでもいう方が、より正確に思えます。

 観察をしていると、何かあった時に誰のせいにするのかは結構一定しているようです。
 また、相手によっては、明らかにその人が悪い場合であっても、内罰的な対処や無罰的な言動をしたりできるようです。

 以前書いた適応機制(参照参照)ですが、「適応機制の中に、防衛機制・逃避機制・攻撃機制があ」るという解釈もあるようです。
 合理化・抑圧・同一視・投影・反動形成・置き換え・代償・補償を防衛機制に分類し、対抗・否認・隔離を逃避機制に分類しているようです(参照)。
 そう考えると、他人のせいにする人は攻撃機制をしている人とも考えられます。


【2015年11月14日追記】

 他人を貶めて優越感を保とうとすることを、今流行の個人心理学(individual psychology)のアドラー(Alfred Adler,1870.2.7-1937.5.28)は価値低減傾向と呼んでいるそうです(参照参照参照)。
 しかしこの共同体感覚(Social interest)って意識。確かに理解してもらえない人にはもらえないんでしょうね(参照)。
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