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性善説性悪説
 旧聞ですが、逃亡していたオウム真理教の元信者の女性に、無罪判決が出ましたね。

 「逃げ得だ」「びっくりした」。オウム真理教の****元信者(43)に逆転無罪判決が言い渡されたことについて、検察幹部らは憤りと驚きをあらわにした。
 判決の認定に疑問を呈す声も多く、東京高検のある幹部は「当時の東京の雰囲気は異様だった。地下鉄サリン事件後という状況の中、薬品を運ぶというのにテロの認識がないなんてあり得ない」と指摘。最高検幹部も「難しい判断をした裁判員の判断を覆すのか」と驚いた様子だった。
 東京地検幹部は「逃走せず、当時起訴されていたら有罪になったのではないか。20年という時間の経過でオウム事件が風化したということか」とため息をついた。その上で、「近視眼的な判決だ。上告しなくてはいけない」と語った。
(「逃げ得」「びっくり」=逆転無罪に検察幹部-オウム真理教・菊地元信者判決・2015年11月27日付時事通信社)

 この記事に、びっくりしましたね。
 日本の司法は、社会の雰囲気に左右されますよと地検幹部が明言しているようなものではないですか。
 そんな日本において、僕はいささか変わり者なのだと思います。

 そんな変わり者が、変わり者の同僚と先日ちょっと語り合いました。
 その中で、性善説か性悪説かという話になりました。
 でも、自分の考え方を整理すると、どちらとも言えません。
 とりあえず、現時点での自分の考えをメモして、整理しておこうと思います。

<性善説か性悪説か>

 僕は、人は皆、基本的に善意で動いていると思っています。
 ただ、その善意が自分の都合に合わないから、悪に見える場合もあるのだと思っています(参照)。

 また、僕は、人は皆、基本的に善く生きたいと考え、善くなろうとしていると思っています。
 ただ、その価値観が皆違うだけだと思っています。

 善意というものは、その人の立場に起因します。
 そして、他人の立場に立つのは難しいのです(関連関連関連参照)。
 だから、例え相手のことを考えて行動したとしても、客観的には自分勝手な行動だと受け取られる可能性だってあるわけです。

 昨日は休みだったので、ミュンヘン―オリンピック・テロ事件の黒幕を追え (ハヤカワ文庫NF)という本を読みましたが、途中からイスラエル側の見方(参照)があまりに強すぎて、疲れてしまいました。

 善と悪に単純に割り切れないと、僕は思っています。
 故に、性善とか性悪とか言っても意味がありません。

<答えは既に自分の中にある>

 僕は、他人の考えを誘導するのが嫌いです。
 だから、セールストークなんかも好きじゃありません。
 これは、ロジャース(Carl Ranson Rogers,1902-1987)の考え方を学んだ影響が強いのかもしれません(参照)。
 と言うより、それより以前から押し付けるのは嫌いでしたが(^_^;)

 研修等では、傾聴等のテクニックのみ語られ、あまり語られていないような気がしますが、ロジャースの考え方の基本は、人は皆、心のなかに答えをもっていて、整理して自ら答えを出す手助けがカウンセリングだって事だったと記憶しています。
 ロジャースは、自らの方法を最初非指示的療法(Non-Directive Therapy)と称していましたが、後に来談者中心療法(Client-Centered Therapy)とし、現在では人間中心療法(Person Centered Approach)と呼ばれている(参照)ようです。
 ちなみに、非指示型と言うからには指示型と言うのもあります。
 どちらであっても、その人の内部には問題解決能力が備わっているという考え方が基本になっているようです(参照参照)。


<知と情で伝える>

 しかし、こちらの考えを伝えなければならない場面もあり得ます。
 でも、残念ながら、伝わらないことが多々あります。
 往々にして、そういった場合は相手のせいにしがちですが、そういった時はまず自分の伝え方に誤りがなかったのかを考えなければいけないと思います。
 まず、相手が理解できるよう説明をしないといけません。
 また、相手が感情的に受け入れやすい方法を考えないといけません(参照)。

 それができない状況ならば、何もしない方がいいと思っています。
 無駄な事はしない方がましですし、かえって逆効果だったりすると思うのです。

<人は理解し合えない>

 物心ついた時から、僕の頭の奥には耳鳴りが響いていました。
 でも、それが自分だけなのか、他の人もそうなのか、ずいぶん長い間疑問でした。
 こういうのって、聞いたって仕方がない問題ですから。
「俺、耳鳴りなんてないよ。」
 って言ってる友人に耳鳴りがないのか、それとも耳鳴りを意識していないのか、どうやって分かるというんですか?

 そう、誰も僕にはなれないし、僕も他人にはなれません。
 だから、「赤色」について話すとき、僕と貴方が同じ色について話しているのかは、分からないのです。
 つまり、僕は、人間はお互いを理解することはできないと考えています(関連)。

 だから、お互いに孤独であり、お互いに仲間だと思っています。

 中学生の頃から言っていたような気がしますが、僕は両想いというのはないと思っています。
 両想いとは、片想いが幸運にも重なった瞬間に過ぎません。
 しかし、その考えに即して行動していれば、悲しい別れとかせずに済んだんでしょうね。


<情けは人のためならず>

 僕は、運転中に横の車線からウインカーを出されたら、なるべく前に入って貰うようにしています。

 もちろん、イライラしている場合を除いてであり、常にイライラしているわけですが(^_^;)

 そういう人が増えれば、いざ自分が入れてもらいたいときに譲って貰える可能性が高まります。
 人は、環境と不可分だと思います。
 環境に良いことをすれば、自分も幸せになれる可能性が高まるのではないかと期待しているのです。
 情けは人のためならず。です。

 ですから、自分がちょっとした手間をかけることで社会全体の手間が減るのであれば、その手間を惜しむべきではないと思っています。
 まあ、その判断も僕の主観によるのですから、常に本当に社会全体の手間の総和を意識して、検証していかねばならん訳ですが(^_^;)

<偽りの自分なんていない>

 昔から、「自分探し」という言葉に違和感を感じていました。
 自分なんて、今そこにあるやん。
 いやいやこれは、偽っている自分で、誤解されている。本当の自分はどこかにいる。
 いや、偽りの自分なんてありませんよ。偽っている自分も、誤解されている自分も、本当の自分の一面なんじゃないでしょうか。

 個性と訳されるpersonalityの語源は、persona。
 仮面という意味です。
 僕らが、様々な場所で偽っている自分こそが、個性なんだと思います。
 だから、どれが本当の自分なんだとか悩んだり、探したりする必要はないのです。
 きっと。

 人間とは多面的なものです。
 様々な考えが、時に矛盾しながら共存しています。
 想いを単純に割り切って話せば、それは嘘に近づきます(参照関連関連)。
 そして、そういった中を、常に迷いながら生きているのが、人間だと思います。

<長所も短所もなく、ただ特徴がある>

 これも、中学の頃から言い出したのですが、僕は長所は短所で、短所は長所だと思っています。
 優柔不断だと言われている人が、時には優しいと評されるようなものです。
 要は、捉え方だと思います。
 特徴をある価値観で判断しているだけで、価値観を変えれば逆転するのです。

 最近、リフレーミング(reframing)なんてことも言われていますが・・・(^_^;)


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