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ゆとり教育考
 最近、ユマニチュードという言葉を読みました。

 ユマニチュード(エマニチュード・Humanitude)とは、至近距離で目線の高さを合わし、親しみをこめた視線を送って見る。反応が返ってこない人に対しても、積極的にポジティブな言葉を話しかける。優しい声を掛けながら、背中や手を、掌を使って優しく包み込むように触れる。一日に最低20分間は自分の足で立つ。という4つの手法を組み合わせることを基本にした150の手法を用いたフランス生まれの認知症ケアの手法(参照)だそうです。
 つうか、これって認知症ケアに限ったことじゃないですよね。

 なんかさ。上から目線で命令すれば人は変わると思っている人が、跋扈しすぎです。
 どうしてそんなに、言葉を信じられるのでしょう。
 死ね

<ゆとり世代とは何か>

 何や最近ムカツクのが、「ゆとり世代」という言葉。

ゆとり世代の定義については、さまざまな論調があり、明確な線引きがあるわけではありません。
小・中学校での教育内容が、いわゆる「ゆとり教育」という学習指導要領に改正されたのは、2002年度から2010年度までのことです。
「この期間に1年間でもゆとり教育を受けた人」というように広義にとらえた場合は、1987年4月2日生まれ~2004年4月1日生まれの人が該当します。
しかし、2008年からは「脱ゆとり」に向けての移行期間が始まっていますので、ゆとり教育の影響を受け、一定の傾向がみられる世代として、1987年から1996年生まれまでの9年間を「ゆとり世代」とすることが多いようです。年齢的には28歳~19歳ぐらい(2015年現在)の人を指すことになりますね。
(「ゆとり世代」の年齢は?ゆとり世代の特徴・仕事・恋愛観、「さとり」との違いなど徹底解説!|welq [ウェルク])

 しかしね。
 文部省(現文部科学省)謹製の学習指導要領で学習内容が削減されたのって、僕らの世代も一緒なんですよね。

<ゆとりが始まったのはゆとり教育以前>

 僕が小学校に入学したのは、1979(昭和54)年。
 この頃の学習指導要領(参照)は、1968(昭和43)年7月に告示されて1971(昭和46)年度から実施されたもの
 この学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれた「濃密な」ものだったようで、「授業が速すぎ」たり、「教科書の内容を一部飛ば」したりしていたそうです(学習指導要領 - Wikipedia)。
 当時の小学校6年間の総授業時数は5821。

 そして、翌1980(昭和55)年度から実施されたのが、1977(昭和52)年7月に告示されたもの
 この学習指導要領は、「ゆとりカリキュラム」と呼ばれていた(学習指導要領 - Wikipedia)そうで、「各教科の指導内容を大幅に精選し、思い切った授業時数の削減を行った(参照)」そうです。
 これがWikipedia的な「ゆとり教育」の始まりです。

 この学習指導要領は、小中学校では1977(昭和52)年に告示され、小学校は1980(昭和55)年度から、中学校は1981(昭和56)年(年)度から実施されたそうです。
 高校のは1978(昭和53)年に告示され、1982(昭和57)年度の1年生から学年進行で実施された(参照)そうです。


 そこで、Wikipediaでは、「ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、日本において、1980年度以降2010年代初期まで実施されていたゆとりある学校をめざした教育のことである(参照)」と定義していて、ゆとり世代の項でも踏襲されています(参照)。

<ゆとり教育への誤解>

 そもそも、「ゆとり教育」には様々な誤解があるように思います。

 例えば、教員の週休二日制実現のためには学校週五日制が不可欠であり、そのために授業時数削減が求められ、その影響で学習内容が減らされたみたいな話を聞くことがあります。
 しかし、学校週五日制以前も週労働時間が40時間の時期があったわけで、その頃は土曜に出勤した分を夏休み等に休むのが普通でした。
 つまり、法律で労働時間が決まっている以上、 どこかで休んでいるわけで、それは大きな理由ではないと思います。

 また、学習内容を減らした事を批判する向きもありますが、当時の「新しい学力観」を見てみると単に内容を減らしたわけではありません。

「旧来の学力観が知識や技能を中心にしていた」として、それに代えて学習過程や変化への対応力の育成などを重視しようと考える学力観である。
新学力観では児童・生徒の思考力や問題解決能力などを重視し、生徒の個性を重視するとしている。学習内容については体験的な学習や問題解決学習などの占める割合が従来よりも多くなり、評価についても関心・意欲・態度を重視する方向を打ち出している。それに伴い教師の役割も、旧来の指導から支援・援助の姿勢への転換を打ち出している。
新学力観が提起された社会的な背景として、社会の急激な変化があげられる。「社会の急速な変化が既習内容をすぐに古いものにしてしまう」という問題意識から、変化に対応する諸能力を重視するという考え方が提起された。
一方で新学力観に対しては、「基礎・基本を軽視しているため、学力低下の原因となっている」「関心・意欲・態度の客観的評価は困難で、授業での挙手回数などの形で関心・意欲・態度を測ることになり、新たなゆがみを生んでいる」などの批判も生まれている。
(参照)

 つまり、時代とともに陳腐化してしまう可能性のある知識や技能は思い切って精選し、知識や技能を活かして変化に対応できるようにしようという事だったと記憶しています。
 つまり、新しいものを取り入れられるようにするための学習へのモチベーションや、思考力や問題解決能力を重視しようという考え方です。
 学ぶべき内容が多くても、多すぎて学べなかったり消化不良になったりした挙句、結局陳腐化してしまうよりは良いのではないでしょうか?

 学習内容の削減の例として槍玉にあげられていたのが、円周率を3と教えているという話。
 あれは恐らく、概数で計算するという話だと思います。
 そういった問題が取り上げられる直前、およその数で計算するという内容が入っていたので、その延長線上ではないのかなぁ。


<ゆとり教育の理想と現実>

 「新学力観」に基づいた教育が行われる中、先のWikipediaにもあった通り、「基礎・基本を軽視しているため、学力低下の原因となっている(参照)」という批判も出てきました。
 そこで、現場レベルでは、思考力を付けるための基礎学力が必要だという話になり、陰山メソッドが注目され、僕が勤めていた学校でも基礎基本の反復学習がなされるようになりました。

 思考力のための基礎学力という論法ではなく、思考力よりも基礎学力という論法の方もいらっしゃるでしょう。
 確かに、思考力を求められる大人ってほんの一握りで、大部分には必要とされないのかもしれません。
 しかしそれって、愚民化政策なんじゃないでしょうか。

 そんな中、「生きる力」というのも言われました。

1996年に文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会(中教審)が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申の中で、

我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。

と述べたことから、教育の新たな目的の一つとして上げられるようになった。
上記のような理念を受けて、その後の学習指導要領の改訂時に総合的な学習の時間が創設された。
2002年以降実施の学習指導要領では、ゆとりの中での特色のある教育によって生きる力をはぐくむという方針であり、2011年以降実施の学習指導要領では、ゆとりでも詰め込みでもなく、生きる力をよりいっそうはぐくむという方針である。
(生きる力 - Wikipedia)

 総花的になってきました(^_^;)

 さて、新学力観の「学習への関心や意欲を高めようということや、応用力を育てようというのはいわゆる「ゆとり教育」の目的であったはず(関連)」ですが、「これから応用力を育てるよ!」と言われるという事は、言われている教員は応用力を育ててもらえなかった世代です。
 そういう教員たちに一種「丸投げ」されたことで、理念と現実の乖離が起こってしまったのではないかと僕は思います。


<学力低下論争>

 最後に、本当に子どもの学力は低下したのかを簡単ですが考えてみたいと思います。
 「若者の学力が低下した!」と叫んでいる人の中に、「昨今の大学生は、○○もできない。」という理由をあげている人がいます。
 しかし、それは当たり前の事です。

 僕が大学生だったころに比べ、子どもの数は減り、大学などの高等教育機関は増えました。
 同じ大学の大学生を比べれば、学力が低下しているのは当たり前です。

 そもそも、時代とともに必要とされる能力は変わるのですから、叫んでいる人の求めるものが時代に合わなくなっている可能性もあります。

 まあ、そもそも、大学で学んだ知識の多くは偏っていて、いくつかは既に古くなっていて、そういった面ではお金の無駄でした。
 それでも、自分が専門分野に選んだ物を学び続けようという意欲と、そのための基礎知識は少し得られたと思います。

 また、僕の大学時代は教養部が存在していたので、他の分野の基礎の基礎知識や、その分野への興味や、その分野への敬意も得られた気がします。
 一番大きかったのは、価値の相対性と主観・客観の弁別の基礎を学んだことでしょうか。

 最近、大学の職業志向が進んでしまい、そういった色彩が薄まってきた感じもしますが。

 お金持ち向けの役に立たない学問をやっていると思っていた某地場名門私立大学の広告をたまたま見ました。
 職業に直結した学部ばかりしかなくて(参照)、かなり意外でした。
 まあ、アメリカ系だから、プラグマティズム(pragmatism)の牙城なんですかね(^_^;)

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