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石垣島鉄道
 以前、徳之島にあったトロッコについて書きました。
 徳之島に鉄道らしい鉄道はなかったようですが、南西諸島各地にはサトウキビ運搬鉄道などがかつて存在していた島がいくつかあるようです。

戦前には南大東島以外にも産業用鉄道が各地に多数存在したが、いずれも太平洋戦争末期までに消滅したと見られる。
沖縄本島では現在の西原町、嘉手納町、糸満市を中心とした地域にサトウキビ運搬鉄道が敷設され、このうち西原町のものは後の沖縄軌道の原型となっている。先島諸島では石垣島と宮古島にサトウキビ運搬鉄道があり、西表島の炭坑にもトロッコがあった。また、大東諸島では前述の南大東島のほか北大東島と沖大東島にリン鉱石運搬用のトロッコが存在した。
(沖縄県の鉄道 - Wikipedia)

 ん?石垣島にもあったんですか?
 今度所用で行くんですよ。石垣島。
 で、ちょっと調べてみました。

<港からどこまで・・・>

 調べてみると、「戦前、石垣港からバンナ岳公園のあるあたりまで線路があった(参照)」という記述が見つかりました。
 また、「トロッコで水牛が引いていた(参照)」との記述もありました。

 バンナ公園というのは、「日本最南端の森林公園(参照)」だそうで、「石垣市街地の北方にそびえる標高230mのバンナ岳周辺の広大な自然環境下にあ(参照)」るそうです。
 でも、地図で見るとそんなに港との距離がある感じがしません。
 そんなに大規模なものじゃなかったんでしょうか。

 余談ですが、石垣島のスイギュウは台湾から持ち込まれたもの(参照)だそうです。

 ちなみに八重山諸島の明治時代の地図が売っている(八重山古地図展 -手描きによる明治期の村絵図-)のだそうで、本気になったら買ってみようと思います。


<2社が存在?案外大規模な路線網>

 ところがさらに調べてみると、結構今回事が書かれているサイトがありました(参照)。
 このサイトには、八重山糖業株式会社と東洋精糖株式会社という2社が書かれています(参照)。
 そこで、この2社の事を調べてみました。

<八重山糖業>

 八重山糖業株式会社は、1895(明治28)年1月に中川虎之助という人物が名蔵という土地で設立したのだそうです(参照)。
 名蔵というのは前述のバンナ岳の北にある地域です。
 中川虎之助という人は徳島県の人で、1891(明治24)年12月に機械圧搾製糖業、馬耕改良犂を使用した名蔵開拓事業に着手とのこと(参照)です。
 ところが別の記事によると、八重山糖業株式会社の発起人はかの渋沢栄一と大江卓と鳥海清左衛門の3名。
 1895(明治28)年11月18日に東京日本橋倶楽部で創業総会を開いたとのことです(参照)。
 「当会社は石垣島に於ける中川農場並に八重山開墾組合の設備を引継ぎ事業を開始(参照)」とあるので、同じ会社なのは間違いないでしょう。
 そして1898(明治31)年8月20日に開かれた株主総会で事業の整理を議決。1902(明治35)年4月に解散をしたとのことです(参照)。
 「当会社は創立以来成績挙がらずして毎期損失を重ね、更に事業拡張の為資本金増加を計りたるも資金を得ること困難なるにより(参照)」とのことです。

 ちなみに渋沢栄一が関係していた製糖会社ってのも、日本精糖株式会社(精糖事業調査会)、八重山糖業株式会社、帝国製糖株式会社、台湾製糖株式会社、明治製糖株式会社、大日本製糖株式会社、南日本製糖株式会社と7社もあったようです(参照参照)。

 解散後、八重山製糖の機械は同じ渋沢栄一系列の台湾製糖株式会社に譲渡されたそうです。
 台湾製糖は他社と合併して台糖株式会社に名前を変え、さらに合併して現在の三井製糖(株)の一部になっているようです(参照)。

<東洋製糖八重山製糖所>

 もう一方の東洋製糖株式会社はどうでしょうか。
 東洋製糖株式会社八重山製糖所設置は、1918(大正7)年2月(参照)だそうです。
 ところが、1921(大正10)年11月に東洋製糖会社は事業を中止して、神戸の鈴木商店へ譲渡(参照)したとのことです。
 現存する東洋製糖株式会社は1949(昭和24)年11月に設立(参照)されたそうなので、別物なんでしょうね。

 いずれにせよ、サトウキビ運搬鉄道があったとしても、最大で1921(大正10)年までしか存在していなかったということでしょうか。

<そして戦後・・・>

 戦後、南西諸島は製糖業ブームに沸いたようです(参照参照参照参照)。

 石垣島でも1957(昭和32)年7月に八重山製糖株式会社が設立され、 1959(昭和34)年2月に操業を開始したのだそうです(参照参照)。
 しかし、工場の施主は大日本製糖株式会社(現・大日本明治製糖株式会社)とのこと(参照)で、1958(昭和33)年11月には大日本精糖と資本、技術提携をしたとの記録もありました。
 また、石垣島製糖という会社も、1962(昭和37)年12月に大日本精糖と資本、技術提携したようです(参照)。

 大日本製糖は、「戦時下は日糖興業㈱と改称して台湾に本社をおいたこともあり、沖縄との縁は深く、石垣島にもさとうきびの大農場を所有していた。(参照)」とのことです。
 調べてみると、大日本精糖は東京の日本精製糖株式会社と大阪の日本精糖株式会社が合併したもの(参照)で、後者はまた渋沢栄一系(参照)。
 その会社が、またもや渋沢栄一系(参照)の明治製糖と合併したのが大日本明治製糖ということのようです。

<で・・・>

 と、ここまで書いたのですが、行くのは石垣島ではなく、宮古島だったようです(^_^;
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