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Author:therapie
 元々は鉄道ブログです。
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キャラ得
 キャラ得していると言われました。
 僕は僕のキャラクターによって、得をしてるのだそうです。
 他の人がすると許されないようなことも、僕がしでかしたらつい笑ってしまって許されてしまうのだそうです。

 確かにその通り。
 僕は日々、色々ヘマをします。
 中には冤罪も言いがかりもありますが、基本的に毎日ヘマをしていると見ていいと思います。
 でも、それが案外許されてしまうことが結構多いように感じます。

 許される人と許されない人を比較研究して本でも書けば、色々儲かるのでしょう。
 面倒だからやりませんが。

<許される人されない人>

 許される人には、何種類かいるように思います。
 まず1つ目は、前述した笑って許されてしまうタイプ。
 2つ目は、気の毒で許さざるを得ないタイプ。
 3つ目は、後が面倒なので許さざるを得ないタイプ。

<笑って許される人>

 僕は、笑って許されると言われましたが、喜んでばかりもいられません。
 これは、人徳と言われる何かがあるのかもしれませんが、もう諦められているのかもしれません。
もう、笑うしかないって奴ですな。

 しかし、いずれにせよそれは、お互いの人間関係のなせる業なのだと思います。
 なんだかんだ言って、初対面であろうが親の仇であろうが誰にでも許される人なんて、存在しないと思われます。
 なんでも結構許されるんだなぁとのほほんと生きていると、思わぬところで攻撃されたりします。

 僕のように(^_^;)

<気の毒になってしまう人>

 また、なんとなく責めるのが悪くなるような見るからに気の毒な人に対しても、やはり叱責を躊躇するのではないでしょうか。
 まあ、そんな人は、ある部分の人々に叱責されない代わりに、別の人々に必要以上に叱責されていそうですが。

 理不尽な上司がいて、上司と同じことをしても叱られ、上司が原因であっても怒られ、上司の指示通りやっても難癖をつけられていると、他の人からはあまり叱責されなくなりますな。

【4】責任を取りたがらない課長

 自分が指示しておきながらうまくいかないと、すべて部下のせいにします。場合によっては、激しく叱責するケースもあるでしょう。保身のことしか考えていないからです。責任を他人に押しつけて自己正当化しようとしているのです。 

 「これ、前に教えたよな」

 「以前も同じ注意をしたはずだ」

 まず、自分には非がないことを念押しします。

 「なんでできないの?」

 「どうしたらこんなことになるんだ?」

 問いかけになっていない非難を浴びせます。言い訳を受け付けない方法です。

 しかも、こういうタイプは、反論しない相手に対しては、どんどん調子に乗る傾向があります。フラストレーション解消のターゲットにならないように気をつけましょう。
(実践!職場にいる「やっかいな人」の対処法 : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2/3)

 こういう人が課長になってるなんて、ある意味すごいですが、世の中そんなものかもしれません(関連)。
 こういう人の部下になれば、あるいはほかの人からは大目に見られるかもしれません。

 こういう人が出世している会社だから、あまり期待しない方がいいかもしれませんが。

  「テロに荷担したら、死刑な!」というテロ対策もあると思います。
 厳しくしていれば、物事は自分の思う通りに進むのかもしれません(関連)。
 表面上は・・・。

 しかし、自爆テロする人たちには、どんな刑罰も無意味なのかもしれません。
 何しろ、自ら死刑になっちゃう人達ですから。
 かえって疎外感を募らせ、過激な方向に向かわせたりして。

 相手に何かをさせたいときには、相手が受け入れられる方法で働きかけなければなりません(関連)。
 そのためには、相手を理解しなければいけません(関連)。
 自分の正義を振りかざすだけでは、何も解決しません。
 存在感を誇示して、大統領選挙に善戦するだけで満足なら、それでいいんでしょうが。


<面倒そうな人>

 あと、何かと厄介そうな人を叱責するのも勇気がいります。
 いかにも強面であったり、クレーマー紛いの実績が多数であったりすると、叱責するよりは黙っておいた方が得策だと思ってしまいます。

 いかにも強面の人は分かりませんが、過去に実績がある人に叱責しても無駄だなと思ってしまいます。
 叱責には耳を貸さず、自らの正当性を主張するだけなのは目に見えています(関連)。
 こちらは黙らざるを得ず、あちらの主張が通るだけです(関連)。
 つまり、面倒な上に利がないのです。

 ゼロサムゲーム(zero-sum game)という言葉があります。
 ゼロサムとはゼロ和ともいい、「複数の人が相互に影響しあう状況の中で、全員の利得の総和が常にゼロになること、またはその状況を言う(ゼロ和 - Wikipedia)」のだそうです。

 著しく他人を攻撃する人って、自信や自己効力感が希薄な人が多いように最近思います。
 彼らはきっと、人生はゼロサムだと信じ、他人の自信や自己効力感を奪うことで自分が自信や自己効力感を得られると思っているのでしょう。

 こうした状況について、メディアコンサルタントの境治さんは、「バランス感覚のない人が増えている。一つの組織内にとどまって、閉鎖的なコミュニティーの中で過ごしている人ほど、そうした感覚が弱くなる」と分析する。「相手の気持ちを想像して意見を発するという大前提を忘れてしまうのでしょう」
 なぜここまで、ネットもリアルも、イライラを募らせ、相手を容赦なく追いつめる空気が蔓延するのか。福島瑞穂参院議員と『「意地悪」化する日本』を著した思想家の内田樹さんは、「他人が何かを失うことが自分の得点にカウントされるという発想が、意地悪化の根底にある」と話す。
(意地悪ニッポン “炎上”主犯は「高収入だけど満たされないオジサン」)

 あるいは単純に、他人を下げれば相対的に自分は上になるってことかも知れません。
 他人との比較でしか自分の価値を発見できないということで、見ていて悲しくなります。

 まあ、そういう人って、ダメ人間な僕らを人身御供にしたがるので、悲しさには二重の意味がありますが。

 しかし、そういう態度は敵を作りやすく、結局は自分を下げることになります。
 そうなると、ますます自分を愛せなくなり、他人サゲに邁進するしかなくなってしまいます。
 まさに、負のスパイラル。
 他人サゲは、一度やったら止められない麻薬みたいなものなんでしょう。

 社会は、ゼロサムではありません。
 むしろ、互いに認め合うことで総和をどんどん高めて行けるのではないでしょうか。

 この辺は、アドラーの「共同体感覚」に近いんですかねぇ(関連参照)。


<キャラ損>

 と、キャラ得について書いてきましたが、その逆のキャラ損もいますよね。
 他の人なら許されるのに、その人がやると許されない人。
 言ってみれば、いじめです。

 しかし、彼らの攻撃にはれっきとした理由があったりします。
 いわく、「あいつのために良かれと思って、注意している。」
 いわく、「みんなが迷惑しているから、みんなのために注意している。」
 所謂、「正義のいじめ」です。

 あるいは、「お互いふざけているだけ。相手も楽しんでいる。」ってのもありますね。
 先日、学校カーストという本を読みましたが、そういったふざけって、優位な側が劣位な側にしか行わないようです。
 鶏のツツキと同じです。

 しかし、本当に相手のための行動なのでしょうか。
 そうでないのはすぐに分かります。
 彼らは、自分の価値観で、相手の行動ではなく人格を攻撃します。

 それらを比較して、怒られない方法を考えようと思った時、「人は見た目が九割なんやから、見た目を比較すればイイよ!」と軽薄な友人が教えてくれました。

 余談になりますが、これと似た言葉として、メッセージ伝達において言葉が占める割合が7%、声のトーンや口調が38%、ボディーランゲージが55%であるという「メラビアンの法則」もよく使われています。
 これは、アメリカの心理学者メラビアン(Albert Mehrabian,1939-)が行った実験の結果によるものなのですが、非常に曲解されているとされています。
 メラビアンの実験結果が示しているのは、好意や反感を伝える際に、それぞれ伝えている内容が矛盾している際に限定された話に過ぎないのだそうです。
 つまりは、見た目が重要なんだという内容ではないとのことです(参照参照)。

 まあしかし、僕の元同僚はかなりのイケメンでしたがキャラ損してましたんで、見た目は関係ないのかなと思います。

<そもそも許される必要なんてあるのか>

 しかし、そう考えると、人間関係や許す(許さない)人の人格が、許されるか許されないかに大きく関わっているような気もします。
 ならば、許されようとする努力って、無意味なのかもしれません。

 相変わらず、嫌な結論に達してしまいました。
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