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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
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 今のところ、基本的に毎週日曜日に更新しています。
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無駄な人
 僕の子どもの頃に比べて、差別は減ったと思います。
 でも、一方で不寛容さは増していると指摘されています。

 何故なんでしょうね。

 厚生労働省によると、2016(平成28)年の障害者雇用状況は、「雇用障害者数、実雇用率ともに過去最高を更新」したとのことです(参照)。
 しかし、逆に言うと障害者を障害者として雇用する社会になってきたのかもしれません。
 そして、障害者になれなかった人たちは、排除されているのかもしれません。

<弱者は抹殺すべきか>

 さて、ずいぶん前に下のような記事を教えてもらいました。

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。

人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。
(参照参照)

 どうでもいいですが、別に食べる必要もないものを殺すなんて、人間って結構無駄なことしてるんですね。

<弱いものが不利なわけではない>

 これに対するある回答が秀逸とのことで話題になっていたのだそうです。

え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が 「喰われ」ます 全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます 個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です この言葉は誤解されて広まってますが、 決して「弱肉強食」の意味ではありませ ん 「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです (「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)

そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、 ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります 多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、 あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります

「生存」が「子孫を残すこと」であり、 「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということ になります
(参照参照)

 言われてみれば、確かにその通り。

<様々な弱さを残すことが人類の戦略>

 しかし、この方の回答はさらに続きます。

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

高度に機能的な社会を作り、その互助作 用でもって個体を保護する 個別的には長期の生存が不可能な個体 (=つまり、質問主さんがおっしゃ る”弱者”です)も生き延びさせること で、子孫の繁栄の可能性を最大化する、 、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します 人類は文明を発展させることで、前時代 では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

生物の生存戦略としては大成功でしょう (生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うても それは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です 例えば、現代社会の人類にとって「障 害」としかみなされない形質も、将来は 「有効な形質」になってるかもしれません だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ 形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、ど ういう状況で有利になるのか?」という 質問をしないでくださいね。それこそ誰 にも読めないことなんです。自然とは、 無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能です から)

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば 「協働」である、と答えるんです 「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです

我々全員が「弱者」であり、「弱者」を 生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略 だということです
(参照参照)

 人権の研修とかありますが、人権だ人権だと言われても、時折虚ろに感じます。
 あからさまな差別はしていなくても、あからさまに人に優劣をつけたがる人はいて、それらのための言い訳はたくさん用意されているからです。

 そんな中でこういった話を読むと、心が解き放たれる気がします。
 そして、同じような話として、「働きアリの法則」を思い出しました。

<働きアリの法則>

 「働きアリの法則」とは、以下のようなものです。

働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。(=パレートの法則)
働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
(働きアリの法則 - Wikipedia)

 なぜそのようになっているのかは割と謎らしく、サボっている蟻がみんなと違う行動をするから新しい食べ物を見つけたりできるんだとか言われていたと記憶しています。
 最近の研究では、みんなが一斉に働いたらみんなが一斉に疲れて集団が維持できなくなるとも言われているようです。

 その結果、働かないアリがいる集団の方が、働き者が疲れた時でも卵の世話などの担い手を常に確保できるため、長く存続した。実際のアリの観察でも、働き者が疲れて休むと、怠け者が働きだすことを確認した。
(怠け者のアリ、集団に必要 働き者休むと代わりに労働・2016年2月16日付日本経済新聞)

 何やら、「腰が軽い」蟻から働きだして、それが疲れたら「腰が重い」蟻が働きだすという仕組みのようです。

 確かにそれは人間でも言えて、僕だって怠け者と働くときは働くし、働き者と働くときはサボりますもんね。
 だって、働き者と働くと、自分が働きだす頃にはほとんど終わってますもん。
 周囲はみんなサボってるとか言う人がいますが、それは自分が働きすぎているのが原因なのかもしれません。
 ちょっと待ってみてはいかがでしょうかね。

 また、周囲の「真面目」に働く蟻を尻目に「不真面目」にあちこち彷徨いている(?)蟻がいるから、新しい食べ物を見つけられるという説も捨てがたいと思います。

 いずれにせよ、社会的な生物は、みんなが同じでないからこそ、集団を維持できているのではないかと思います。

<視点が違えば半可通でも貴重>

 先日、同僚が某有名観光地の紹介をしていました。
 僕はそこに4回くらい行ったことがあり、その近所に2年間住んでいましたが、その詳しさに舌を巻きました。
 で、話をよく聞いてみると、彼はそこに1回しか行った事がないとのことでした。
 彼が行った場所に僕が行った事がなかったので、詳しいなと思っただけの話でした(^_^;)

 そんな面白い同僚なのですが、いつも他の人と違う視点で意見を言ってくれ、時にムカつきますが貴重な存在だと思います。
 そういう人だからこそ、1回しか行ったことのない場所についても目新しい案内ができるということなのでしょう。

 ところが、職場では結構黙殺されることがあって惜しいなと思います。
 色々な意見があるからこそ、良い集団になるのではないかと思うのですが、そうは思わない方も多いようですね。

 自分と違う意見や自分に従わない人は、敵対してるような感じがして受け入れられない。
 なんだか不寛容な感じです。
 でもそれは、自分自身が受け入れられていないかもしれないという不安の現れなのかもしれません。

<盗人にも五分の理>

 「盗人にも三分の理」という諺があります。
 泥棒にも理由があるとか、どんなことにも理屈を付けられるとかいう意味です。
 以前紹介したカーネギーは、「盗人にも五分の理」と言っていました。

 どんな人にもそこに至るまでの理由があり、どんな人のどんな行動にもその人の理由や考えがあります。
 他人を見下す人を観察をしていると、この「盗人にも三分の理」というのが分かってない人が多いように思います。
 自分の思い通りに動かない人は何も考えていないと思っているように見えるのです。

 そういう人が増えると、人類の存続は難しいのではないかなあと思います。

<今週の落ち込み>

 土曜の朝、夢を見ました。
 国鉄からJRになってすぐの研修に参加して、講師役の若手社員から部長、課長、自分が新しい会社にお前らは合わないと糞味噌に罵倒されながら意味のないことをやらされる夢でした。
 何だか、最近の自分を象徴するような気がして、土曜は一日中落ち込んでいました。
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