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 元々は鉄道ブログです。
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自己決定とネグレクト
 僕達の自己決定権は、日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とする幸福追求権から導き出されるとされているようです(参照)。

 障害者においても、自己決定権について色々議論があるようです(参照)が、建前上は本人の自己決定権を尊重し、自己決定を支援しなきゃならんと言われているようです(参照参照) 。

<愚行権>

 しかし、実際はなかなか難しい問題です。
 例えば、本人にとって不利益な自己決定をする方の場合はどうするのか。
 「愚行権」も含め、(関連関連)多少本人の利益にそぐわなくても本人の自己決定を尊重するのか。
 それとも、多少パターナリズム(paternalism:関連関連関連関連)的であっても、本人の利益を尊重するのか。

発達障害を持つ人々の自己決定が制限されてきた2番目の大きな理由として、しばしば障害者自身の下す決定が障害者自身にとって危険な結果をもたらし、幸福追求につながらないとするパターナリズムからの見解をあげることができる(小林、2 0 0 0)。自己決定は自己責任を伴うものであり、障害を持つ人に危険な決定の責任を負わせるわけにはいかないという議論には、確かに一定の説得力がある。ここには、自己決定のもたらす恩恵とリスクのバランスをいかにして保つかという、自己決定の倫理に関わる根本的な問題が潜んでいる(平田、2 0 0 0)。本論の中でこの問いに対する最終的な結論を得ることはとてもできない。おそらく、この問題は一般論として決着をつけることは不可能であり、個々の障害者の個別の決定状況についてさまざまな事情を勘案しつつ如何にすべきかを決定することが求められることになろう
(参照)

 と、あまりに難しいため学者も判断を逃げているわけです。

 しかし、そういった事が行きすぎると、「職員のケアが手薄になるのを補完する意味で管理が強化され、それが隔離状態をもたらす(参照)」という問題になりかねません。
 この問題は結構難しいようで、ある論文には援助者との関係において自己決定する方法が提唱されていました(参照)。

 また、知的障害が重度の方には自己決定自体を支援し、軽度になるに従って自己決定の過程を支援してはという話も以前聞きました。

 軽度になるに従って例え本人の利益になる決定であっても、本人が納得していなければその通りに行動しないというのがあるようです。
 しかし、知的に重度な障害があっても意思はある(参照)わけで、本人が納得できるように支援して決定しなければ、やはり同じ問題にあるように思います。

 そういった思想上の問題だけではなく、法的な問題も絡んできます。

<ネグレクトとは>

 本人にとって不利益な決定を黙認すると、ネグレクト(neglect)に問われる危険性があります。
 ネグレクトとは、「心理的虐待および身体的虐待の一種でもあり、『自らの実子への無視』『特に自立性や自救能力が低く、幼児や低年齢児童の養育を著しく怠ること』を指す場合が多い。具体的には『食事や衣服を定期的に供与しない』『排泄物や廃棄物の始末を適切に行わない』『長時間の保護放棄』などがあ(参照)」るそうです。

 障害者虐待防止法(障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律)でも、「放棄・放任による虐待」は禁止されています。

 これが、養護者への人権侵害の手段として使われている(参照)問題もありますが、ここでは深入りしません。

 第2条第7項には、「四 障害者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置、当該障害者福祉施設に入所し、その他当該障害者福祉施設を利用する他の障害者又は当該障害福祉サービス事業等に係るサービスの提供を受ける他の障害者による前三号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の障害者を養護すべき職務上の義務を著しく怠ること(参照)」が禁止されています。
 つまり、本人の自己決定だからといって断食を認めていると、「障害者を養護すべき職務上の義務を著しく怠」っていると捉えられて虐待認定される恐れがあるわけです。

<法的に権利を制限するにはどうしなければならないのか>

 しかし、よく考えたら、僕たち支援者はどういう法的根拠があって利用者の権利を制限できるのでしょうか?
 いや。たかだかピーマン食べないとか、寒いのに上着を着ないとか、明日も朝から通所なのに夜更かししてるとかいうのを制限してるだけですがね。

 まず最初に免罪符にされるのが、家族です。
 母親が「ピーマン食べさせてください!(怒)」と言えば済むように見えますが、本人が成人の場合、親権者が法定代理人にはならない(参照参照)ようです。

 一応、「精神障害者と知的障害者については、原則として、親権を行う者、後見人、配偶者などが保護者とならなければならない。(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第20条、第21条。知的障害者福祉法第15条の2第1項。)(参照)」とされていますが、条文を見る限り特に保護者に権限はないようです。
 また、民法による扶養義務や刑法による保護責任者というものもありますが、こちらも特に権限はなさそうです。

 そうなると、成年後見制度(参照)を使わないといけなくなります。
 成年後見制度は、自己決定支援でもありますが(参照)、権利の制限を法的に認めた制度でもあります(参照)。

 保護者が法定代理人になれないとすると、保護者であっても法的な手続きが必要なんでしょうかね?


<些細なものも権利は権利>

 ピーマン食べるかどうかで成年後見制度を利用する人はいないと思います。
 でも、ピーマンを食べるか否かという些細な事でも、決定するのは本人の権利なのだという自覚が、僕たちには必要なのではないかと思います。

 そこまで悩む分の給料は払われていませんが。

 少なくとも、本人にとって問題ないにも関わらず、個別支援計画を作らないといけないので無理矢理問題にしてしまうようなことは良くないのでしょう。

 そもそも、知的障害者は社会生活の根幹部分で法的に自己決定権を制限されています。
 知的障害者福祉法第1条の二には、「すべての知的障害者は、その有する能力を活用することにより、進んで社会経済活動に参加するよう努めなければならない。」と書かれています(参照)。

 つまり、知的障害者には世捨て人になる権利がありません。
 おかしなことだなと思います。
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