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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
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水俣まで(3)~薩摩街道と豊前街道
 前回は八代駅まで戻っていましたが、水俣から八代の間にも色々あったので少し戻ります。

<旧街道の石橋>

 道の駅たのうらで一休みし、しばらく走っていると、沿線に綺麗な一本桜が見えました。
新免眼鏡橋近くの一本桜
 原付を降りて近づいていくと、石橋があります。
新免眼鏡橋
 この橋は、新免眼鏡橋という名前だそうで、この道は旧薩摩街道らしいです。
新免眼鏡橋の案内板
 薩摩街道とは、筑紫野市の山家宿で長崎街道と分かれて、鹿児島に至るもの(参照)です。

<日奈久温泉>

 しばらく行くと、日奈久温泉に着きました。
 日奈久温泉センターばんぺい湯前で休みます。
日奈久温泉

 ここでひとっ風呂浴びてれば良かったのですが、先を急いだために入りませんでした。
 そして、後に後悔することとなります(^_^;)


 この前の道も、旧薩摩街道だそうです。
日奈久温泉旧街道
 旧街道っぽい町並みです。
日奈久温泉旧街道

 紆余曲折の末に熊本駅を見て、
熊本駅駅舎
熊本市電も見て、
熊本市内電車
熊本電鉄も見学し、
熊本電鉄電車
山鹿温泉に到達しました。

<山鹿温泉>

 山鹿温泉と言えば、八千代座らしいです。
山鹿温泉八千代座
 そこに行く途中にも、旧街道がありました。
山鹿温泉旧街道
 この山鹿灯籠民芸館(旧安田銀行山鹿支店)の前の道も旧街道らしいのですが、
山鹿灯籠民芸館
案内板によると、「豊前街道」らしいです。
山鹿灯籠民芸館(旧安田銀行山鹿支店)案内板
 ぶ、豊前街道??

<豊前街道とは?>

 そこで、帰ってから調べてみました。
 総合すると、「肥後・熊本(熊本市)を起点として北上し、植木・ 山鹿から南関を経て豊前・小倉(北九州市)に至る道を熊本では『豊前街道』と呼んでいます。(参照)」とのことでした。

 どうやら、熊本を起点にした「豊前街道」・「薩摩街道」・「豊後街道」「日向街道」の四街道を「熊本四街道」と熊本では呼んでいるようです(参照参照参照)。
 熊本中華思想ですな。

<それは薩摩街道では?>

 Wikipediaでは、「筑前国山家宿(現福岡県筑紫野市)を始点として、薩摩国鹿児島(現鹿児島県鹿児島市)に至る路線(参照)」を薩摩街道としています。
 現在の福岡県でも、そのように呼ぶのが一般的のような気がします(参照
参照)
 全国的にもそういう感じのようです(参照)。

 ちなみに、熊本県外では別の街道を指す「日向街道」もあるようで(参照)、別の「豊前街道」もありました(参照参照)。

<各藩毎に名前があった>

 「のちに五街道とともに主要幹線道路として幕府から重要視されたため江戸幕府直轄となり、万治2年(1659年)に道中奉行の管轄にあった」とのことで、長崎街道と薩摩街道は途中から脇往還として幕府直轄になったよう(参照参照)です。

 しかし、幕府は五街道以外に正式な名前を付けてなかったようなのです(参照参照参照)。

 五街道以外に正式名称はなく、多くは各藩で整備してきた以上、それぞれの藩がそれぞれの名前で呼ぶのは当たり前です。
 むしろ、山家から鹿児島を薩摩街道と言い切るのも、江戸中華思想かもしれません。
 「川舟に積み替え久留米あたりまで遡れば、筑前の我々がいう薩摩街道や、秋月街道に合流でき、人馬継ぎに不自由はない。ちなみに道の名称は土地によって違う。肥後の人は薩摩街道を豊前街道、熊本以南を薩摩街道という。筑後の人は北上を筑前街道といい、南下を坊の津街道とよぶ(参照)」というように、多様な呼び方があってもいいのでしょう。

 しかし、各藩内であっても名称は統一されていたのでしょうか。
 例えば、長崎街道から薩摩街道が分かれる場所にある道標は、「肥後薩摩道」と標記されている(参照参照)ようです。
 旧唐津街道をサイクリングするのが好きだった高校時代の経験からしても、例えば「隣の宿場+道」のような道標もあったように思います。

この薩摩街道の呼び名については、地域によって街道の名称が異なっています。筑後地方では山家宿から坊津を結ぶ九州の縦断道を「薩摩街道」あるいは「坊津街道」と呼び、肥後地方では小倉・大里~南関~植木~熊本城下のル-トを「豊前街道」あるいは「小倉路」と呼び、熊本~水俣~出水~鹿児島城下・坊津のル-トを「薩摩街道」と呼んでいます。
また、地元においては筑後・府中宿から筑前・山家宿までの間を、「松崎往還(おうかん)」あるいは「松崎街道」とも呼んでいました。ここでは、「薩摩街道」と呼ばせてもらいます。
(参照)

 この、「松崎街道」のような呼び名は、それこそ地域ごとにあったのでしょう。
 そう考えると、とりあえず全国的な統一名称を使わざるを得ません。
 その上で、熊本県内の熊本以北を「薩摩街道(豊前街道)」と書き、熊本以南を「薩摩街道」と標記(参照)するような工夫をするしかないのでしょう。

 恐らく、鹿児島県下は「薩摩街道(出水筋)」あるいは「薩摩街道(西目筋)」と称すべき(参照)なのでしょうが。


 つまり、筑前の「薩摩街道」から始まり、筑後の「薩摩街道(筑前街道・坊津街道)」と続き、肥後の熊本以北「薩摩街道(豊前街道)」、熊本以南「薩摩街道」を経て薩摩の「薩摩街道(西目筋・出水筋)」になるという感じです。
 これ以上細分化すると、また訳がわからなくなりそうですし。

<おまけの疑問:藩名について>

 と、ここまで書いてちょっと疑問が生まれました。
 俗に「薩長土肥」と言いますが、「薩摩藩」は大隅や日向の一部も支配していました。
 「長州藩」は長門だけでなく、周防も支配していました。
 「肥前藩」は肥前のすべてを支配しているわけではありません。

 そもそも、「長門藩」と呼ばず「長州藩」と呼ぶのは何故だろう。
 「長州藩」と呼ぶくせに、「薩州藩」と呼ばないのはどうしてだろう。

 江戸時代の藩を呼ぶ際、「旧国名+藩」と呼ぶ場合と、「領主の拠点+藩」と呼ぶ場合と、「領主の苗字+藩」と呼ぶ場合があります。
 どれが一番正しいのでしょう。

 福岡城に本拠を置いた黒田家は、筑前全体を完全に領していたわけでないからか、「筑前藩」と呼ばれることはほぼありません。
 「黒田藩」と呼ぶ事もありますが、分家の「秋月藩」も黒田家なので、「福岡藩」と呼ぶのが一番混乱がないのでしょう。
 小倉藩や熊本藩のように途中で領主が変わることもあるので、「藩主の拠点+藩」が一番汎用性が高いように思います。

 しかし、途中で本拠地が変わることもあるわけです。
 福岡藩や小倉藩は、途中で変わりましたね。
 名島藩から福岡藩とか、小倉藩から香春藩から豊津藩とか、萩藩から山口藩とか書いていたら、これもまたややこしいです。
 そうなると、どう呼ぶのが一番良いのでしょうかね。

 調べてみると、「藩」というのは明治時代からの用語で、「藩主の拠点+藩」が正しいようです。
 江戸時代的に言うならば、「領主の苗字もしくは拠点+領」が正しいようです(参照)。
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