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福北連絡鉄道の夢(5)~博多湾鉄道汽船の夢(上)
 先日、本屋で徳田 耕一(参照)という方のまるごと西鉄 ぶらり沿線の旅(まるごとぶらり沿線の旅)という本を見かけてぱらぱらと読んでみました。
 歴史的なことについて比較的詳しく書かれていましたので買おうかと思いましたが、1700円は高いので見送りました。

 パラパラとめくった限りなのでよく分かりませんが、結構間違いというか事実誤認があるように感じました。
 例えば、部分廃止については会社の説明を聞いたまま書いている感じで独自取材した様子はありません。
 まあ、鉄道関係のライターさんはそこまで踏み込まないのかもしれませんね。
 また、古賀ゴルフ場駅が無人駅と書かれているのに笑いました。普通に電車に乗っていただけで降りなかったんでしょうね。降りれば時間帯無人駅だと分かったはずですから(^_^;)
 本当に「ぶらり」来ただけで乗っただけという印象でした。

 まあ、古本屋に安くであったら買おうかと思います。

 そういえば以前、九州電気軌道(故西鉄北九州線の前身)の福岡延伸計画について書きました(参照)が、その後日談としての博多湾鉄道汽船系の「福門連絡鉄道」について書いていないことを思い出しました。
 で、今回はその前段にあたる博多湾鉄道汽船の延伸から書いてみようと思います。

 1913(大正2)年7月19日に東郷~(朝町川沿い)~若宮町(11.2km)の特許を取得し、1914(大正3)年6月8日に起点を福間駅(16.7km)に変更した東筑軌道は、1915 (大正4)年に糟屋郡箱崎町に会社を設立して1918(大正7)年10月30日に工事施工の許可を取得しました。
 それと同じ頃、博多湾鉄道も和白~福間までの敷設を計画していたので、東筑軌道は工事中の軌道(≒路面電車)線を鉄道線に変更した上で1919(大正8)年6月28日に津屋崎村~若宮村(15.8km)の免許を取得しています。
 そして、博多湾鉄道が1919(大正8)年8月2日に和白~福間間(12.0km)の免許を取得。東筑軌道は1919(大正8)年8月4日に免許を博多湾鉄道に譲渡しました。
 更に博多湾鉄道は1919(大正8)年10月25日に和白~福岡間(10.5km)の免許も取得して、福岡から若宮に至る路線の免許を取得したのです。

 1920(大正9)年3月25日に、それまでの博多湾鉄道は博多湾鉄道汽船に商号変更しました。海運業への進出が狙いだったといいます。

 恐らくこの前後に西日本鉄道の名付け親として知られる太田清蔵氏が経営権を握ったものだと思われます。
 それまでの博多湾鉄道は帝国生命と黒田家中心の「ボロ会社」だったそうです(^_^;)

 更に博多湾鉄道汽船は1921(大正10)年10月21日に若宮村~飯塚町(若宮~長井鶴~南幸袋~西飯塚・15.1km)の免許も取得し、延長予定エリアにある津屋崎軌道と1924(大正13)年1月23日に合併しました。

 その上で博多湾鉄道汽船は、1924(大正13)年5月23日に新博多(後の千鳥橋)~和白間(10.6km、蒸気)を、1925(大正14)年7月1日に和白~(旧)宮地岳(12.4km、蒸気)を開業させました。
 残りの部分も工事したかったのでしょうが、お金がなければ工事できません。

 更に悪いことに、後の北九州市内線の前身である九州電気軌道が1919(大正8)年12月18日に折尾町~上辻堂町(博多駅)(47.3km)の特許を取得し、1928(昭和3)年9月には福岡延長線建設部を設置して用地買収を始め、1930(昭和5)年11月28日に津屋崎町宮司付近約20kmの工事施行認可を得ています。
 この路線と博多湾鉄道汽船の路線は福岡~福間で明らかに競合します。博多湾鉄道汽船も1929(昭和4)年8月16日には新博多~(旧)宮地岳の全線を1500V電化しました。

 ますますお金がなくなったと思われる博多湾鉄道汽船は、1927(昭和2)年7月頃に貴族院議員でもあった太田清蔵社長が富安保太郎貴族院議員を通じて小川平吉鉄道大臣に西戸崎~宇美間と酒殿~旅石間の国有化を要請しています。国に買ってもらった金で新規路線の工事をしようという目論見でした。
 富安議員は小川大臣に対して50万円の報酬を約束したのだそうです。
 翌1928(昭和3)年1月に西戸崎~宇美間と酒殿~旅石間の国有化が閣議決定され、月末に太田からということで富安から小川に内金9万5千円が支払われました。
 ところが他の鉄道会社から小川大臣への贈賄と並んで五大私鉄疑獄事件と呼ばれるこの事件が1929(昭和4)年8月に発覚。1930(昭和5)年11月に東京地裁で公判が開始されます。
 当然、国有化の話はなかったことになり、新規路線建設どころではなくなります。

 1933(昭和8)年4月に東京地裁判決が出て私鉄関係者は全員無罪になったものの検察は控訴。1934(昭和9)年11月の東京控訴院判決では収賄側3人と贈賄側の5人に有罪判決が出て被告側が上告。そして1939年9月の大審院判決で収賄側3人と贈賄側の5人の有罪が確定します。

 そうしている間に1935(昭和10)年6月11日には津屋崎村~若宮村(宮地岳~津丸~八並~若宮説も・15.7km)の免許が失効。次いで1936(昭和11)年1月30日には若宮村~飯塚市(若宮~長井鶴~南幸袋~西飯塚・15.1km)の免許が失効しています。
 そういうわけで、宮地岳線は(旧)宮地嶽駅までの不完全な形で残されることになりました。

 1942(昭和17)年9月19日に西鉄が発足した後、1944(昭和19)年5月1日に西戸崎~宇美(24.7km)と酒殿~旅石(2.9km)の粕屋線(現・JR香椎線)は戦時買収により国鉄に編入されています。


2007年12月24日に若干加筆しました。
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Keyword : 西鉄宮地岳線(現貝塚線) 歴史 博多湾鉄道汽船

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用


この記事に対するコメント
その人の本買って読みました
まあ、いい記念だと思って、買って読んでみましたが、いくらか事実誤認といえる文章や、キャプションがありますね。
トーシロ(死後)のわたしが見て分かるくらいですから、もっとつぶさに見ていくとぼろが結構でそうな気がします。

やっぱり所詮他所もんですね。
【2006/11/29 00:49】 URL | やひ@久留米 #ADR/QmPY [ 編集]

確かに・・・
 僕もパラパラと見ただけですが何箇所かん??と思うところを見かけました。
 僕は宮地岳線しか分かりませんのでその程度ですが、やはりよその方だからですかね。

 ちなみに手元にある宮脇俊三氏の大阪・神戸・京都・福岡の私鉄という本にも間違いがあるのを私は知っている・・・。
 
 鉄道関係のライターで一番の有名人でも間違えるのですから、そんなに取材費が出ない業界なのかもしれません。ある意味仕方ないことかもしれませんね。
【2006/11/30 00:14】 URL | therapie #SFo5/nok [ 編集]


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