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日本の性文化は特殊か?
 イギリスBBCが日本の性文化は性と愛が一致しないという独自性があるとの内容の日本文化紹介番組を放送したとのことで、一部話題になっています。


 BBC放送が作成した「日本の性」に関してのドキュメンタリー番組は、ナレーションはおそらくは日本人女性が話す英語なので聞き取りやすいかも。
 コメンテーターは社会学者の宮台 真司。「日本の男性の性的特徴といえば、恋愛や特定な相手との親密な関係にあまり拘束されない。これは日本の伝統である」と語る。

 Sex in Japan

 日本人はとてもシャイで、感情を表に出さない人種なのでセックスすらあまりしないのではないかと思われがちだけれども、実は内に秘めた性に対しての願望は結構なもんで、日本の性産業は世界でも有名。繁華街では風俗店がひしめき合い、需要と供給のバランスにより成り立っている。限られたスペースの中で女性の裸を鑑賞し、そして時には見ず知らずの女性と性的交渉を持つ。
 日本のカップルは、狭い住宅事情によりラブホテルを利用する。いつもとは違ったシチュエーションでセックスを楽しむのである。また、日本人男性は2度結婚すると言われている。一度は妻と、そしてもう一度は会社とだ。そして長時間会社の仕事に拘束されながらも仕事が終わると夜の街でホステスと語らい、そしてまた風俗で仕事の疲れを癒す。ランチタイムの貴重な時間ですら風俗に行くサラリーマンもいるそうだ、しかもイメクラとか。
 「日本の性文化とは、セックスと愛が一致しなければならないという考え方がない。愛がなくてもセックスOKだし、それがあたりまえみたいな文化がある。ゆえに女性の売春もあまり悪いことだとは考えられていない」再び宮台 真司は語る。
 日本ではロリコン男性も多く見受けられるがその最大の動機は、同世代の女性とコミュニケーションする力がない為だと宮台氏は分析。その他援助交際ブーム(ピーク時でクラスの3人に一人)に関してや、発達したボンテージ文化などについても触れられている。
 まあ確かに光源氏の時代から日本人男性が妾を持つ文化はあったり、セックス産業が盛んだったり、援助交際とか主婦売春とかまあ、あるにはあるんだけれど、多分なくなることはないのだけれど、それをすべて肯定してしまっては元も子もないというか、その文化を恥ずべきものとしている人々も多くいるのも事実なので、その辺の複雑な日本人心理に関してもちょっとは触れておかないとまずいんじゃないかと思うわけなのですがどうでしょう。極論から言うと、日本人男性「誰とでもやる」、日本人女性「誰とでもやれる」って思われちゃうかもしれないぢゃない。
(ザイーガ:【MOVIE】BBC放送が伝えた「日本の性」に関してのドキュメンタリー番組)


性と愛が一致しないのは日本文化の特徴か?

 宮台氏は「日本の性文化とは、セックスと愛が一致しなければならないという考え方がない。」と言っていますが、これって実は日本だけではありません。
 性と愛と結婚が不可分なものという考え方は、「ロマンティックラブ(イデオロギー)」と呼ばれます。

ロマンティック・ラブと結婚というのが共起に考えられるようになったのは最近のことで、それ以前に結婚というのは親同士が決めた政略的な意味合いを持っていたり、子を生産(再生産)するための”装置環境”としての役割が多かったりした。それが、無産階級の人間が相手を「選べる」ような時代背景になったあたりから、ロマンティック・ラブと結婚が結びついて考えられるようになってきたのだと思う。だから、現代であっても庶民でない超上流階級(成金ではなく)には、政略結婚というのが当たり前のように存在するのだ。
だから、そもそも結婚とは、子を産むため、女性の交換のための儀式であったはずだ。それが、少なくとも私のような1980年代後半に生まれた以降の人間にとっては、結婚を決めるのに大切なことは相手の感情を第一に優先させるという回答を多くの若い女性がすることからも、結婚=感情の結びつき、という常識は定着している。これは、ロマンティック・ラブ=結婚の図式を言い当てていると考えられる。
(ロマンティック・ラブと結婚は相性が悪いと思う。 - あたしと卒論。(と思想と哲学。))

 近世までは、結婚とは子どもを作るためのものであったり、労働力を手に入れるためのものであったりしました。
 これは日本だけではなく、世界的に同じです。
 結婚と性は不可分なものだと思われますので、恋愛と性は同じものではなかったのです。
 恋愛が結婚と結びつくようになり、性と愛が一致すると考えられるようになったのは近代以降のことでしょう。

 近代以降にも、その考え方にはばらつきがありました。

現在の日本における「結婚」に関する規範をまとめると、人生のある段階に達したら、ロマンティックラブによって配偶者を選び、結婚し、子供を作り、育て、配偶者以外の性交渉や離婚することは非倫理的である、といった感じであろうか。しかし、このような「結婚」という規範は、歴史的、社会的、文化的な現象である。さすがに、結婚に相当するような制度をまったく欠いた社会とうものは聞いたことがないが、その内実は相当にばらつきがある。
夏目漱石は日本が近代化する上での相克といたものを描いているわけだが、その小説のなかにはさまざまな結婚観を持っている人たちが登場する。なかには、「結婚相手を自分の女性の好みで選ぶなどというはしたないことはしない」という登場人物がいる。彼にとってはロマンティックラブによって結婚するなどということはまったく非倫理的だと考えている。しかし、ロマンティックラブのようなものが、明治中期の日本でまったく抑圧されていたかというと、樋口一葉などを読むとそういうわけではないこともわかる。ただ、ロマンティックラブと結婚が直接結びついているとは限らない。
もちろん、いうまでもないことだが、現代の「結婚」制度と、前近代の「結婚」制度の間には優劣をつけることはできない。私の祖父と祖母の結婚生活を観察していると、いわゆるロマンティックラブのような感情のやりとりはほとんどなかったし、昔の話を聞いてみてもとくにそのような感情が盛り上がった時期もなかったようだ。しかし、祖父と祖母の間の関係に特別な問題が生じたこともなかったようで、大正から昭和、平成にかけての激動の時代に四人の子供を育てた。祖父は子供たちに見取られて亡くなり、祖母は孫や曾孫に囲まれ幸せそうである。別にロマンティックラブなどがなくても二人の結婚は立派に成立していたと思う。
(1998.3.31 Tue. 「ソフィーの世界」)


売春婦が「愛」を提供するのが日本の特徴?

 棚沢 直子と草野 いづみはフランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?に面白いことを書いています。

 日本では、昔の吉原などの遊郭の女や、売春まではしなくても”女の性を売る”という意味の水商売に従事する、いわゆる”プロ”の女たちは、昔から、体や快楽ばかりではなく”愛”も提供していた。客と娼婦やホステスとの”恋愛”はよくあることだった。
 それに引き換え、フランスの歴史において、特に十七世紀以降、十九世紀の社交界を除いては性を売る女たちが”愛”を受け持つことはほとんどない。
(フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?・角川ソフィア文庫P183-184)

 これについて筆者は、「妾」の存在について指摘し、「生殖」という「妻」の仕事の一部を受け持つ「妻と売春婦の中間のような存在」があったからではないかと書いています。

クラスの3人に1人が売春していたという例は妥当か?

 宮台氏はこの番組中でこう語っています。
「援助交際ブームというのは、これものすごいことになっていて、例えば、学校によっては、1クラスの3分の1が売春経験があるところも出てきました。」
 この「援助交際ブーム」がいつごろのことか分かりませんが、どうも1985年あたりから始まったようです。
 その後、1996年から1997年あたりに市民権を得た言葉のようです。

 ちなみに18歳未満の「児童」に「淫行をさせる行為」は児童福祉法で以前から禁止されていました。また、13歳未満にわいせつな行為や「姦淫」をすることはたとえ合意の上であっても刑法で禁止されていました。
 その後1999年11月に施行された児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律によって18歳未満を買春することも禁止され、2003年9月に施行されたインターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律によって18歳未満の児童も処罰対象になっています(参照)。

 1997年から1999年頃と言えば、知っている卒業生が高校に在学していた頃です。確かに性生活が乱れている子はいましたが、「援助交際」している子は聞いたことがないですなぁ。
 ブルセラショップというのも話題になっていましたが、ごくごく一部のことだったのではないでしょうか?よく分からないけど。
 これは恐らく、「学校によっては」というのがミソなのでしょう。
 嘘ではないのでしょうが、誤解を招きやすい表現なのではないでしょうか。

援助交際経験は売春経験か?

 ところでどうもこの「援助交際」と僕が考えている「売春」との間には開きがあるようです。
 この後の例では、実際に援助交際している女性が出てきて経験を語っています。

「若い女の子の体を見たい。触りたい。後は一緒に添い寝したい。そういう風な形で見える方は見えます。」

 つまり普通は体を見たり触ったり添い寝したりしないようなのです。
 一般的にはどういうサービスを提供しているのかこの番組では(意図的に?)放送されませんでしたが、恐らく単に一緒にデートをするのが主なのでしょう。

実際は性と愛が一致している部分がある
 
 しかも、この女性は「援助交際」をしていることを彼氏には内緒にしています。
 性と愛を明確に区別しているのであれば、別に内緒にする必要はありません。区別できないからこそ内緒にしているのではないでしょうか?

 そういうことを考えると、この番組は極めて誤解を招きやすいといわざるを得ないと思います。
 そもそも異文化を紹介する際に、特徴的だと思われるものをことさらに強調しがちになってしまうのはよくある事です。
 僕たちも気を気をつけねばと思いました。
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Keyword : 社会 マスメディア 子育て 教育

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術


この記事に対するコメント

彼ら文化人類学者はもっと歴史的な経緯を元にしてこれらの表現をしているので、事実に反しない範囲であればその概ねの意図を表現しているので問題ないと考えているのだと思います。

宮本常一などの正統派民俗学でも、日本人の士族未満階級では欧米で見られるような貞操観がなかったのは明らかで、その後も文化的にそれらが形成された経緯は見られません。16世紀に女性の一人旅が危険でなかったのはセックスが解放されていたためで、これも世界に類例がありません。ここいらは、現在の日本人の女性問題活動家や、意に添わない売春をやめさせようとしている人権系団体の幹部でも常識で、恐る恐るではあるものの何人もの人に直接、歴史認識を聞いたことがあります。

そうした歴史的下敷きを把握した上での発言なので、本人達は問題を感じていないのでしょう。

むしろ、地域を限っていたとしてもわずか20年でクラスの三分の一が援助交際をするようになり、それが常態化するというのは、やはり貞操観が強い文化を背景にしてはあまりないことというぐらいの認識らしいです。

最近コメントしたくなることがおおいですなぁ。
【2008/07/12 23:29】 URL | tomonya #NkOZRVVI [ 編集]

うがー
コメント消えた・・・。

宮本常一などを見ても、歴史的な背景としてこの傾向は間違いないです。士族未満では基本的に貞操観がありません。

なので、多少特殊な紹介をしているようでも、問題を感じていないのだと思いますし、事実、その後も日本において貞操観が形成された形跡はありません。

明治維新が儒教を積極的に導入したことで日本文化のかなりの部分を破壊しましたが、保護育成条例などもその流れを汲むもので、日本人の生活実態には全くそぐわないと僕は思います。
【2008/07/12 23:34】 URL | tomonya #NkOZRVVI [ 編集]

この番組が話題にしているのは現代なので
 最近、ネット由来の記事が多いからですかね。

 江戸期あたりまでの庶民はせいに対しては割と奔放だったそうですね。
 色々な記録を見ていると、少なくとも第2次世界大戦前後まで夜這いの習慣が残っていた地域はあるようです。
 南西諸島のある島では、つい数十年前まで残っていたという話も現地で聞いたことがあります。
 恐らくこれらは明治期以降の公教育とマスメディアの普及によって徐々に消えていったのではないでしょうか?知らんけど。

 しかし今回の番組は現代を扱ったものですし、全国的に一様に貞操観念がないと言われるとかなり違和感があります。
 性の問題に限らず、日本人にとって道徳・倫理と庶民的な感覚の二重性と葛藤はよくありますし、そこに触れないで日本文化特殊論を唱えるのは良くないのではないかと思います。
 そのあたりに言及しなければ、不適切なのではないかなと思います。
 まあ、そもそも性と愛が分化しているのは日本だけじゃないと思いますしね。

 どこの国でもマスコミは分かりやすい報道しかしないということなのでしょうが。
【2008/07/13 23:28】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]

なるほですね
 ただ、貞操観の下敷きがないとすると、どこでそれが付与されたかが大切になりますが、「マスメディア」というだけでは理由が不足しているというのが一般認識のようです。

 数年前、NHK教育の大人向けの「人間大学」だったかで、夜ばい以前に昭和30年代までは毎晩お寺のお堂に集まって乱交という状況だった地域もあるという話をその教授がしたあと、聞き手が「先生などは世代的にそうだったんじゃありませんか?」「私のことはあまり話したくありませんので・・・」という会話を見たことがあります。世代交代すら行われていないほど最近なわけです。

 つまり、我々が貞操観と感じているものが、欧米キリスト教社会の貞操観と別物である可能性は十分にあるようです。浮気に対する感覚や風俗産業に対する感覚は、明らかに欧米人とは別物ですしね。

 ただ、読み直してみると、確かに誤解を与えやすい部分はあるようですね。

 でもそんなことを言えば、川崎市議補選をドキュメンタリーにしてベルリン映画祭で上映された映画なんて、冒頭部分ではほとんどの人にパロディー映画と思われたほどで、誤解でなくてもかなりの日本社会に対するマイナスイメージを与えていますから、個人的にはそっちのほうにより問題を感じます。
【2008/07/15 10:10】 URL | tomonya #NkOZRVVI [ 編集]

実際は今でも・・・
 そうですね。僕の行った島でも恐らく昭和30年代頃の話だったと思います。
 内緒ですが、そういった意識が今でも色濃いような気がするなぁと某所出身者の言動を聞くと思うこともあります(それでも「嫌な相手」はいるわけですが)。
 そういう意識が薄れたのは、戦後の社会変動の中で全国的に価値観が画一化されていく過程で起こったのではないかなぁとぼんやりと思いますが、確証はありません。

 ただ、浮気や風俗産業への感覚の違いについては異論があります。
 これに関しては繰り返しになるので書きませんが。

 市議選映画は見ていませんが、実際の選挙活動を何度か見た経験ではそんなに間違っていないのではないかと思います。
 その危機感からこのブログで政治を取り上げるようになったのですから。
 まあ、誤解は生じそうですがね。
【2008/07/15 10:26】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]

もちろん映画は間違ってないですが
 どうにも世間で国益を口にする人は、
 「正しいかどうかよりは、国益にかなうかどうか」を気にされるようなので、
 「真実を表現しているけれども国益にはかなわない」日本の選挙ドキュメンタリーを野放しにしたのは、どうかと僕は思ったわけです。

 僕(ら?)にしても、件の番組に対して、真実かどうかよりは影響がどうなのかを重視して会話している部分はありますので、どっちが良いかは別だと思いますが。
【2008/07/20 17:25】 URL | tomonya #NkOZRVVI [ 編集]

僕は国賊?
 まあ、僕はどっちかと言うと多少国益に反しても真実性があったほうがよいと考える方なので・・・。
 もし、「恥ずかしい」真実があるのなら、修正するかそれが日本だと堂々と主張すべきだと思うので。
【2008/07/23 01:44】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]


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