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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 元々は鉄道ブログです。
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殿様の個人資産
 麻生さん凄いですね。
 何でも自民党総裁選の推薦人が80人を超えたので誰を選ぶか困っちゃってた(参照)そうな。
 前回の轍を踏むまいと、各派閥に推薦してもらって派閥ごとの推薦人枠で割り振ったそうですが、前回とはえらい違いですな。

 しかもそれだけ絞ったのに、テトリス等でおなじみの渡辺具能氏がいる(参照)のが笑えます。
 ゲーム(主にテトリス)好きとマンガ好きの夢のコラボでしょうか?
 しかも、ネット規制でお馴染みの高市早苗氏がいるのも何かの冗談かと思ってしまいます。

 そんな麻生さんの個人資産は、「東京都渋谷区と福岡県飯塚市の自宅、長野県軽井沢町の別荘などの不動産四億1206万円、預貯金6000万円のほか、株式16銘柄約33万株、多数の美術工芸品を保有する(安倍内閣発足時の資産公開より・参照)」だそうで、大金持ちです。

島津製作所の島津ってどこから来たの?

 お金持ちのことを「お殿様」と呼びますが、殿様って金持ちなんですよね。
 特に、今話題の島津家。
 密貿易や奄美でのサトウキビ栽培の強要や本土での櫨栽培の強要等で財を築き、明治維新の原動力になった雄藩です。

 俗に「薩摩に暗君なし」と言われますが、領民にとってはもう少し暗君だったほうが暮らしやすかったのではないかと思います。

 現在でも、島津製作所の丸十のマークを見ると、鹿児島の殿様島津家の会社なのかと思います。

 ではその財産はどうなったのか?殿様は今でも「お殿様」なのかについて調べてみました。

版籍奉還

 1869年に版籍奉還が行われ、大名が支配していた領地(版図)と領民(戸籍)が天皇に「返還」され、その後大名は知藩事(藩知事)に任命されました(参照)。

 1871年に福岡藩首脳部が関与していたという太政官札偽造事件のために黒田長知知藩事が解任された(参照)ほかは特に問題なかったようです。

 そして、1870年には藩制が公布されました。
 これより藩庁の職制が府県と同等になりました。
 財政面では、歳入の10%を家禄として知藩事の収入にして、残りを藩庁の経費と藩職員(家臣)の給料にするようにしました(参照)。

廃藩置県

 そして1871年に明治政府は廃藩置県を断行。殿様たちは失職します(参照)。
 ただし、その後も給料(俸禄)は支払われていました。
 殿様の場合、石高の1割だったようです(参照)。

秩禄処分

 しかしこのままでは、ろくに仕事をしていない武士にずっとお金を支払い続けなくてはなりません。
 それをやめるための手切れ金を払ったのが1876年の秩禄処分です。
 石高1万石でほぼ1万円の割合で国債を支給するというもので、華族が1人平均6万4000円、士
族は1人平均 500円ほどだったようです。
 国債の利子は5分~1割程度だったそうで、華族には金利での生活を補償すると共に、士族にはそれを元手に商売するよう促していたといいます(参照参照参照参照参照)

その他殿様の財産

 その他にも、国に接収されない限り江戸屋敷、お城、山林、鉱山等は殿様の物になったそうです
(参照参照)。
 ただ、新政府側に付いた殿様と幕府側に付いた殿様の間は微妙に差別されたようです。
 幕府側に付いた殿様の領地の山林等は、国有財産化される割合が多かったそうです(参照)。

 先の黒田家も1884年に侯爵として華族になった(参照)ようです。

戦後の没落

 1947年にGHQの指令によって行われた財産税の徴収により、華族は没落します。
 1500万円を超える金額の財産には実に90%もの税金が課せられ、多くの華族が財産の大半を失いました(参照)。

では島津製作所は・・・

 残念なことに、島津製作所の創業者である島津源蔵は鹿児島の島津家と血縁関係はなく、「薩摩の島津義弘が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉から与えられた播州姫路の領地に立ち寄った。その際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一は領地の検分などの世話をした。それに対する褒美として“島津”の姓と“丸に十の字(くつわ)の家紋”をもらった(参照)」のだそうです。
 ただ、鹿児島にある島津興業は島津氏の会社で、今も殿様の子孫が経営しているそうです(参照参照)。
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