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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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東北に差別はなかった?
 今週は事務作業が多くてほとんど休めませんでした。
 つらい・・・。

東北・鹿児島に部落差別はない?


小学校で部落問題が教科書に載っていた。部落と言ってはいけないとあったが、周りは「ウチの部落では」と言うヤツばかりだ。そのうち、田舎の部落とは違うらしい、と感付いた。しかし、被差別民と歴史の教科書にあっても、東北ではマタギ、山伏、山家はごろごろしている。山道を10km毎日歩いて小学校に通う子供も珍しくなかった。今でも、山形では、嫁さんが皆中国人、韓国人、フィリピン人という部落が幾つもある。山形の田舎の農家だと言うだけで結婚できないからだ。また、山形は歴史的に貧しい所なので、南米へ移住した人も多く、3世、4世も多い。中国残留孤児の3/4は山形出身だ。帰国した孤児や家族の中国人も多い。こんな東北に住んでいると、関西の部落問題はいまいちピンと来ない。多分、平安時代以来、征夷(東国の蛮族を征服する意だ)大将軍の敵として、東北はまとめて部落だったからだろう。都に上れば、言葉からして差別を受けてきた。サザエさんでは、酒屋のお兄さんが山形出身だが、未だに実家は藁葺きで囲炉裏がある。ただ、東北では皆が差別・支配される側なので、中の結束は固い。外部の者に対しては警戒するが、身内になるととても温かい。東北の子供は、大きくなって東京に行くまで、部落も差別も知らずに育つ。そして、東北は全部部落だと知る訳だ。
(東北人にはいまいちピンと来ない部落問題)


【2012年12月13日追記】
 この引用文に関してのコメントが複数ありましたので、改めて見解を書いておきます。
 この引用は、「東北は貧乏だから差別はなかった」という考え方に疑問を呈するために行ったものです。
 この文に列挙されている「貧しさ」が事実であるかどうかは不明ですし(東北人を名乗る方々は事実ではないと言っています)、この後に述べていますが貧しい中でも差別は起こります。

 同じような話は鹿児島でも聞きました。
 鹿児島でも、「部落」と言うと「集落」をさすことが結構ありました。
 鹿児島人の恩師は、「鹿児島はみんな貧乏だったから、差別はなかった。」と言っていました。

【2012年12月13日追記】
 よく思い返すと、福岡でも僕が子どもの頃は「部落」という言葉は「集落」とか「地区」を指す言葉として普通に使われていました。
 運動会の地区対抗リレーを「部落リレー」と呼んでいた記憶があります。


鹿児島には部落差別があった

 まあしかし、世の中そんなに甘いものではなかったようで、一応鹿児島にも被差別部落はありました。
 具体的に場所は書きませんが(というより忘れた)、実際に見に行ったこともありますし、体験談も聞きました。
 で、後に教員になってから、僕も県同教(鹿児島県同和教育研究協議会・現鹿児島県人権・同和教育研究協議会)に入りました。
 そこで小学校と中学校の教育実習の時に一緒だった運命の女性と劇的な再会を果たすのですが、これはまた別の話。

 ちなみに、部落解放同盟(参照)にはしっかり鹿児島県連合会もあります。

 また、鹿児島には「島人(しまじん)差別」があるという話もありますが、これもまた別の話。


でも東北にはやはり部落差別はない?

 で、部落開放同盟のサイトで調べると、北海道、青森県、岩手県、山形県、秋田県、宮城県、茨城県の連合会はないようです(参照)。
 やはり、北海道・東北には部落差別がないのでしょうか?

東北にも部落差別はあるが、少数点在で組織化されていないため見えにくい?

 部落開放同盟の方のお話では、東北地方に部落差別がないわけでなく、被差別部落が少数点在型で組織化されていないため見えにくいだけなのではないかということのようです。

 「『東北地方には部落がない』などと言われるが決してそうではなく、少数点在で見えにくいだけであり、各地に現存している。さらに、1965(昭和40)年に政府へ答申された『同和対策審議会答申』を見ると、被差別部落は『東北2地区、57世帯』とあるが、それはごく一部分の報告で、福島県内だけでも50地区あると言われている。そして、そのうちの30地区は確認できているが、未だ多くが未指定地区となっている。
 また、同和対策事業がかつて福島県下と山形県下で実施されたことも明らかになっている。それにもかかわらず『ない』と言われるのはどうしてなのか。事実、部落差別事件が相次いで惹起している現状もある。すなわち『ない』とするのは、差別している側の多数派の人びとの論理であり、差別されている少数派の声が潰されてしまっているために『ない』ということがあたかも真実のように、事実のように語られてしまっているということなのである。
(2000年度 僧堂人権学習会 福島県会津地方を訪ねて)


被差別部落はあったが、現在は部落差別という観念が消失している?

 人によっては、以前は被差別部落はあったが、現在はそれが分からなくなっているため、部落差別という観念自体がなくなっているとしている人もいます(参照参照)。
 ただ、これが正しいとするならば、先の「『ない』とするのは、差別している側の多数派の人びとの論理であり、差別されている少数派の声が潰されてしまっているために『ない』ということがあたかも真実のように、事実のように語られてしまっている」という問題そのままなのではないかという気がします。

東北は部落差別の歴史が浅く、そんなに根付いていない?

 部落差別問題(参照)の起源については諸説あるようでかたまっていないようです(参照)が、以前言われていた江戸幕府の政策上作られた身分に由来すると単純に言い切れる問題ではないようです。
 それ以前からのさまざまな歴史が反映されているのではないかということです。

 ところが、東北に関しては江戸時代以降に職業等による差別が持ち込まれたのではないかとする説があるようです。

一説によれば、中世以前の東北・北海道地方には身分や職業による差別は存在しなかった。被差別部落史研究者の中には、中世以前のこの地域が文化的後進地域であったために被差別部落が存在しなかったとする人もいるようだが、これは、東北・北海道地方全体を「蝦夷」という蔑称で呼ぶことに等しい。しかし、近世には、「文化とともに」、東北・北海道でも一部の城下町や交通の要衝に被差別部落が見られるようになった。被差別部落を作り出すことが「文化」とは、なんと愚かなことか。
(参照)

 そうすると、部落差別の歴史が浅いので、被差別部落があまり多くないということなのでしょうか。
 場所があまり多くないためあまり意識に上ることなく、ないような状態になっているということなのでしょうか。

 しかし、あまり多くないというのは学ぶ場がないということでもあり、かえって危険な気がします。

【2009年5月15日追記】

 Yahoo知恵袋の「何故、主に西日本では部落差別が根強く残っていた(いる?)のでしょうか?」にこのページが紹介されていました。
 どうもそこで「同和利権」との絡みで紹介されたようです。

 この項は、「部落差別」、「被差別部落」が東日本にあったのかを考えているものです。
 東北地方に関しては、「部落差別」の歴史が浅く、また、「被差別部落」の数が少なく組織化もあまりされていないので「部落差別」がないような状態になっているのではないかという仮説を立てています。

 ただ、だからと言って知らないで良いのかというと別問題です。

 このページでは明治初頭に起こった解放令反対一揆が西日本でのみ起こっているので、西日本の人が差別的だからであるという答えがベストアンサーになっていました。
 明治4年の兵庫、広島。明治6年の岡山(血税一揆)、福岡(筑前竹槍一揆)です。

 このページではこちらを参照していましたが、元ネタはこちらです。

幕末明治民衆運動史研究会公開講座 
  新政反対一揆における部落襲撃の位置づけ
                   上杉 聰 (関西大学文学部教員)

 幕末明治民衆運動史研究会は一月二十八日、東京で「二〇〇一年総会記念講演会」を開いた。
 講演は竹村栄一氏(元日比谷図書館長)による「鴎外・その論点のひとつ・二つの遺書をめぐって」と、上杉聰氏(関西大学文学部教員)による「新政反対一揆における部落襲撃の位置付け」と題するものであった。本紙は講演会に参加し、取材した。上杉氏の講演は部落解放運動と民衆運動の歴史の評価に関わるものであり、興味深いものがあるので、その要旨を本紙の文責で紹介する。
(編集部)

 * * * * *

「解放令」に反対する一揆 
     
 「新政反対一揆」と言われる明治初年の一揆の中に被差別部落を襲撃したものがいくつもでてくる。本日は、それをどのように位置づけたらよいのかというテーマをいただいた。
 「解放令反対一揆」というのがポピュラーな呼び名だが、明治六年の岡山県の一揆は「血税一揆」と呼ばれ、同じ年、福岡県で約十万人が立ち上がった一揆は「筑前竹槍一揆」と呼ばれてる。合計二一にわたる当時の騒擾事件年表を作って検討した。明治四年八月、いわゆる穢多・非人などの身分制度を廃止する布告がだされた。この二一の騒擾は一揆と呼ばれる大きなものから、小さな事件としかいいようのないものまで拾い集めたものだ。
 これらの一揆が関連したところは、一部を除き京都の北部から西日本一帯だ。 例えば明治四年に兵庫県で発生した一揆の概要は、「賎民廃止令(解放令)に反対して神東郡辻川村に発した一揆は、市川筋を南北二手に別れて進み、南は姫路県庁手前で阻止され、北は生野県庁まで侵入し、要求をのませる。その後、山崎県下に波及し、同県も賎民廃止令を撤回する」というもの。この要求の中には冒頭に「穢多これまでどおりのこと」、すなわちこれまでどおりに部落の人びとを差別する制度を残すべきだという要求だ。参加人員は五~六千人の規模。
 同じ年の広島での事件で、「一般の店に酒を飲みにきた二人の元革多(広島地方の呼び方)の若者を町人が殺害した」という件。当時、一杯飲み屋に部落の人が一緒に入って飲むのを禁じていた。「天朝様からこの度、われわれを平民同様に扱えというお触れがでたのに反対するのか」といわれ、しぶしぶ飲ませた。客の町人らは逃げ、のちに闇に乗じて殺してしまった。
 道後温泉では「穢多」が入浴したということでうち払いがあった。被差別部落民は馬などを入れる湯にしか入ることができなかった。
 一揆の結果、県段階で解放令が一時撤回されたのは、生野、山崎、津山、真島、北条、福岡におよび、直接的な被差別部落の被害は統計によると焼き討ち・打ち壊し二〇六八戸以上、死傷五二人以上になる。
 これまでは何かの間違いだろう、ウソであろうと書かれていた。私も最初は信じられなかった。
 「福岡県党民秘録」という有名な竹槍一揆の解説に「党民強訴の大意」というのがある。三一書房の「庶民生活史料集」にある。これには部落解放反対の要求は見えない。
しかし現物の「公文録」を見ると、その史料から五行ばかり削られている。現物には「穢多平民区別の事」とある。民衆史の研究や部落問題の研究者で史料をたんねんにまとめている人が、膨大な史料集からこういうところを全部削っているわけだ。

「新政反対一揆」の背景

 解放令反対一揆には四つの要素がある。ひとつは解放令後の差別撤廃の要求と行動に見られる被差別部落民の「傲慢」の抑止。兵庫県などでは一般の農民と道で会うと、部落の人たちは道をよけて土下座をしなくてはならなかった。これを全部やめた。農民は「血が逆流する思いがした」という史料がある。
 もうひとつの理由は「交わり」の拒否。一緒に食事をしたり、同席しない建前だった。被差別部落の人たちは解放令がでたので、一緒に飲食をしたい、入浴したい。縁組の話も、直接結婚するという話より、道後や岡山の意識では「今度の解放令はわれわれと結婚させようということだ」と理解していく。
 三番めの意識は「屠牛馬への嫌悪感」の問題。牛馬の肉食が公然と許可され、屠殺をするから、牛や馬の数が減る。物価が高騰している時に、牛馬まで高騰すると反対する。日照りで塩害が起きたが、それは近くに屠牛場ができたためだと言われる。
 これらの現象的な反応が高じて一種の被害者意識ができてくる。別に被差別部落の人が「道で立って礼をした」としても軽蔑したわけではない。それが「不敬」と感知される。目下と思っていた者が対等な態度をとるとバカにしていると思う。身分関係の急激な変化がこうした意識を生んだ。
 内心はこれまでいじめてきたから、今度はやられるのではないかという疑心暗鬼もある。
 一揆の直前には部落の人たちは不穏を察知して戦々競々としている。被差別部落の人びとは経済封鎖にあう。困って、自分たちを理解してくれそうな店に行って「物を売ってくれ」とお願いする。店主は村の規制で売れないので「まわりと相談してから」という。「では数日後にまた来るから」と言って帰る。すると「数日後に襲ってくるに違いない」と竹槍で武装が始まる。最初は被差別部落民にたいする竹槍だったが、そういう新政をやっている県は許せないということで県に竹槍をむける。この過程に猜疑心がある。

民衆運動の持つ二面性をどうみるのか

 関西などのすべての一揆に共通してでてくるのは、部落解放令がだされた直後に部落の人たちが新しく「平民としてふるまって」いることだ。関東など多くのところでは、それまで通りの振る舞いをやらされている。関東は被差別部落は人数的にも少ないし、経済的にも疲弊していた。
 農民・町民の側がそういう部落の人たちの新しい行動を受け入れたところもある。例えば奈良や大阪などでは、被差別部落の人たちが解放令を喜んでいることを暖かく見守っている側面がある。被差別部落の人たちは死んだ牛馬の処理をやらされていたが、幕末には「穢れ意識」は消えていて、死んだ牛馬をオレたちにも処理させてほしいと一般の馬喰が進出して被差別部落民の職域を侵すほどだった。身分と職業の結びつきがかなり切れてくる。「解放令」がでても新しいことではなく、後追いをしている状況もあった。そういうところでは起こっていない。
 したがって、一揆は関東では起こらない。被差別部落の側に新しい行動を起しようがないほど力が弱い。あるいは農民の側の許容量というか、「当たり前」となっている。反対一揆が起こったところは解放令をきっかけに急激に解放運動が起こったところだ。
 初期の研究では「何かの間違いではないか」という意見も多かった。しかし「部落襲撃」が行われていないとされた明治四年の兵庫の一揆にも未遂事件があったことがわかった。兵庫の一揆には県庁に向けたのがあるが、岡山の一揆では「穢多狩り」というような、被差別部落を探して襲撃している。リンチの場合もある。政治的な意識が高いところは権力に向けて闘った。恐ろしいことだが、部落解放に反対する要求をかかげて県庁を占拠した。そこでは「部落襲撃」をしないで、解放令を以前に戻させた。
そういう力を持たないところでは、目の前にいる被差別部落の人たちを個別に襲撃することで、狭い範囲で自分たちの要求を実現しようとしたにすぎない。
 地租改正だとか、断髪令、新しい行政区画を作る、学校をつくる、徴兵をする、そういうさまざまな新しい政策に反対する。被差別部落の人たちが平民としての行動を起した解放令も新政だ。新政反対だ、と。
 被差別部落の人たちが行動を起せないところでは、こういうものをかかげる必要はない。したがって新政反対一揆の中に解放令反対の要求が入ってこないだけだ。新政反対の要求の中に部落解放反対が組み込まれた時に相乗作用がでる。大きな一揆ほどそうした要求が組み込まれる。
 かつては士族や富農が指導したからとも言われた。しかし、統計を見ると指導層には貧農が圧倒的に多い。多くが下層のイニシャチブで行われている。
 本日の民衆史の研究会には水をかけるような話になっているかもしれないが、部落差別というのは民衆の中にけっこうあるということを認めざるをえないのではないか。
同時に、私は民衆はそれを克服する可能性をもっているとも思っている。
 当時も民衆の中の自覚的な人びとは、人権的な意味においては権力よりもはるかに進んでいた。解放令反対一揆で殺戮が行われた岡山北部では、その八年前には「改政一揆」が起こり、被差別部落の人びとが多人数一緒に参加している。同じ農民が、あるときはこのように振る舞い、あるときは部落差別をしている。民衆は単純な一枚岩ではない。
 おそらく民衆の中の差別的な層が明治六年にはイニシャチブをにぎり、改政一揆のときにはそうでない人たちがイニシャチブを握ったのではないか。
 こういう問題を意識的に考えていく人たちは本当は一握りなのかも知れない。ここに非常な危うさがある。ナチスを生み出したドイツだが、いま克服それをしようとしているのもドイツだ。いまの日本の社会の中に自由主義史観のような人たちがでてくるのもある意味では当然だろう。
 歴史はこのようにジグザグを繰り返しながら、全体としてゆっくりと前に進んでいくのではないかという希望を持っている。
(参照)

 元ネタを読めば分かりますが、奈良や大阪では起こっていません。
 岡山でも別の一揆では双方一緒に参加したりしています。

 こういったことを知ると、人って差別しちゃう生き物なんだなと思います。
 そういう風に意識するのが大事なのではないかと思います。
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


この記事に対するコメント

東北、山形にも被差別部落はありました。山家や非人集落など地名にも残っています。多分、現在でも或る程度の差別は残っている可能性はあります。ただ、数が少ないため目立たないのと、経済的に差がないので「形だけ」になっているのかも知れません。それに、被差別部落は残っていたとしても限界集落でしょう。或いは、当人達にすれば非常に局所的に未だに差別を受けているかも知れません。しかし、それよりも、大和朝廷や徳川幕府に対する恨みの方が強い気がします。安倍一族や平将門、伊達政宗は未だに英雄です。また、修験道や密教が生活に生きている土地でもあります。精神風土として、朝廷に近い関西とは全く違うのは確かです。差別が見えないだけかも知れないけれど、それは上手く隠蔽されているのとは違うように感じます。白河の関以北は全て蝦夷、それが実感です。
【2008/09/20 13:27】 URL | pryvate-eye #- [ 編集]

返事が消えてました(^^ゞ
誤解を招きかねない表現があったので、修正しました。

鹿児島の人も同じことを言ってましたよ。
で、実際に差別はしてない人がほとんどだと思います。

関西や福岡の人だって、最近は堂々と差別している人は少ないでしょう。

反対にそれが僕はとても怖いです。
何が差別なのか、自分が差別しているのかに鈍感になってしまうから。
【2008/09/23 11:57】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]

初めまして
私は福島県民ですが同和なんて聞いた事ないです。

部落は集落とか人の集まりを指す言葉だと認識してましたが、西日本だとタブーみたいですねぇ。(^^;
まあ、在日、創価みたいなもんでしょうか。
【2009/05/10 23:13】 URL | のびたろう #- [ 編集]

Re: 初めまして
 用語を聞いたことがないから存在しないかというとそれがなかなか難しい問題で・・・。
 「タブー」という捉え方ですか・・・。
 知らない方はそう考えるんでしょうかね・・・。
【2009/05/13 00:02】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]


>>今でも、山形では、嫁さんが皆中国人、韓国人、フィリピン人という部落が幾つもある
>>また、山形は歴史的に貧しい所なので、南米へ移住した人も多く、3世、4世も多い。
>>そして、東北は全部部落だと知る訳だ。
山形出身ですが、こんな話し聞いたことないよ^^;
この記事、信憑性はあるんですかね?
【2009/05/18 20:34】 URL | 匿名 #- [ 編集]

Re: タイトルなし
 差別される側って、批判を許されない存在になってしまうことがあります。
 だから、時に人は差別される側であると言いたがります。
 少なくとも、自分は差別をしていない人間であると思い込みたがる人は多いのではないでしょうか。
 僕だってそうです。

 ですから、「僕は差別をされた」とか「僕は差別をしたことがない」という発言には注意深い検証が必要なのかなぁと思います。

 僕は東北には一回しか行っていないので、真偽の程は分かりません。
 山形県出身の方が信用できないと言うなら、そうなのかもしれません。
 個人的な考えを書いた記事でしょうしね。
【2009/05/19 00:06】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]


真相の解らないものを易々と参照しないでくださいよ
それが新たな差別を発生させることだってあるのに……
個人のブログとは言えもうちょっと頭を使ってもらいたかったです
【2009/12/14 22:23】 URL | 山形出身の者 #- [ 編集]

Re: タイトルなし
 お説はごもっともですが、この文章は僕が見ただけでも数ヶ所に書かれています。

「新たな差別」とおっしゃいましたがこの文章には僕が気づく限り2つの「新たな差別」の芽が内包されています。
 一つは、東北地方が貧しいというもの。
 もう一つは西日本が東日本と違って差別的であるというもの。

 僕は西日本の人間として後者への反論を試みました。残念ながら支離滅裂になってしまいましたが。
 前者については僕は書く立場にありません。
 どなたかが反論を書いてくださればと願っています。
【2009/12/15 00:37】 URL | 兼梨騒也(仮称) #SFo5/nok [ 編集]


山形県米沢市民です 。
部落でお嫁さんの出身国が違うという話は聞きません。
部落ごとの差別より、更なる貧富の差はありますが、農作物が採れる地域な分物価が安く、大都市のような絶望的な貧困はありません。
【2012/12/13 00:02】 URL | かなめ #- [ 編集]

Re: タイトルなし
 おっしゃる通りだと思います。
 僕は鹿児島県の離島で生活をしていましたが、一次産業が盛んな地域や地縁血縁の結びつきが強い地域の豊かさは収入の金額だけでは測れないと感じています。
 一次産業が盛んな地域では現物がすぐに手に入りますし、地縁血縁による援助は収入に計上されません。

 お嫁さんの出身国に関しては、情報有難うございます。

※ この引用についてのコメントがこのブログとしては多いので、本文に追記しました。
【2012/12/13 02:44】 URL | therapie #- [ 編集]


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