先日引用した記事中で「特徴的」とされている「こがアートタウン構想」ですが、よく考えたら今までちゃんと調べたことがありませんでした。 古賀市長中村隆象さんの目玉政策なんですけどね。
で、今更ながら「こがアートタウン構想」に噛み付いてみることにします。 こがアートタウン構想の発表
こがアートタウン構想が初めて発表されたのは、2002年12月10日。古賀市議会平成14年第4回定例会第1日に中村市長が施政方針を発表したときのことでした(参照)。 2002年の選挙は、中村市長が2選を果たした選挙(前回の結果はこちら)です。 2002年12月1日に投票が行われ、投票率は古賀グリーンパーク第2期工事が争点となった前回の66.67%を大幅に下回る50.59%。得票は中村隆象市長が12776(前回9296)票、奴間健司市議が8586(前回3113)票という結果だったようです(参照)。
何はともあれ、その議事録を引用します。
1、文化芸術の振興について(こがアートタウン構想)。 太宰府市民は全国で最も自分の市を誇れる市民であると言われています。日本全国どこへ行っても自分は太宰府市から来たと胸を張って言えるそうです。それは恐らく太宰府天満宮、菅原道真、学問の神様と連想されることから来るよいイメージによるものと思われます。 古来、「文」は「武」の上位に置かれており、武力や富では人の心の支えになったり人の尊敬を受けることはできません。我々の人生の中で最終的に求めるものはやはり文化芸術であります。 経験的には、文化芸術の振興は健康の増進や犯罪の減少にもつながることがわかっており、地域社会づくり全般に寄与するものであります。また、社会の成熟に伴い経済活動を動かす要因として「文化」が大きな役割を果たすという認識のもと、文化経済学という学問分野が成立しています。 戦時に敵国の文化施設や文化遺産を破壊したり、美術品を没収したりするのも、相手の心の支えを奪おうとする心理作戦であり、このことからも文化芸術が人々の心の豊かさをもたらすとともに、心の支えとなっていることがわかると思います。第二次大戦後、荒廃したパリで真先に復興、再建したのはオペラ座でした。我が国では昭和25年に金閣寺が焼失しましたが、そのとき国民が心の支えをなくしてしまったことから文化財保護法の制定に至りました。 最近では、2001年12月に文化芸術振興基本法が制定され、その重要性が再認識されています。また、上記太宰府市は福岡県内で唯一、文化振興条例を制定しています。平成9年9月です。 古賀市においては、安全で快適なまちづくりをこれまでどおり強力に推進していくとともに、市民と行政が一体となって文化芸術を振興していくことが、はつらつ交流都市古賀の実現につながり、また人が真ん中の古賀市づくりにつながるものと思います。 従来より古賀市におきましても、文化芸術に対する熱心な取り組みがなされてきておりますが、その伝統を踏まえた上で新たな挑戦としてここに「こがアートタウン構想」を提言したいと思います。 ここに提言する文化芸術振興策の一手段としての「アート」とは、古典的に定義されてきたいわゆる絵画や彫刻といった、個人の表現としてのアートのみを意味しているものではありません。 文化芸術の振興は、ただ単にその分野の専門家や特別な人々の活動を支援するばかりでなく、一般の市民の方々が豊かな文化芸術に触れ、あるいは芸術を志す人々と交流することで、より創造的な市民意識が熟成され、そのことがひいては古賀の個性を生み出し、人々がまちに誇りを持つようになる、そのようなプロセスだと思います。そのような環境は、同時に青少年にも豊かな情緒、情操をもたらすはずです。 こがアートタウン構想は、上記を踏まえて以下の3つの視点から、古賀市が今後取り組むべき課題の解決にアートを活用したいとするものです。もちろんこれが文化芸術の振興の中ではほんの一部の切り口に過ぎず、また本来文化芸術を担うのは市民一人一人であって、行政は支援するあるいはきっかけををつくる役割を果たすことになると考えます。 (1)中心市街地の活性化とアート。 JR古賀駅周辺は今後古賀市の中心市街地として整備し、活性化を図っていく必要がありますが、西口商店街を初めとしてかつての繁栄が見られず、中心市街地としては十分な機能を果たしているとは言えません。ただこのような現象は古賀市特有の問題ではなく、全国にも同じような状況があり、その活性化には多くの市町村が悩みながら特効薬もないのが現実であります。この解決にはこれまでのように単なる「物」の販売ではなく、「情報」や「スタイル」あるいは「何か古賀独自のもの」を発信していく必要があります。 広義のアートは、商店街の活性化といった既存の手法が行き詰まった状況を打破する突破口になる可能性を秘めています。アーティスト活動の「点」が、そのうちに「線」となり、さらに「面」として広がっていくことが、間接的ではありますが商店街の発展につながり、ひいては古賀の個性につながっていくと思います。 また、古賀駅は他の駅と比べてもとりたてて特徴あるものではありませんが、駅全体あるいは駅周辺も含めてアートを使って活性化する。またそのため多くの才能ある若者、芸術家の発表の場として場所を提供することも考えられます。これを仮称「アートする駅」と名づけます。 (2)環境とアート。 近年、アートが広く社会の抱えている問題にかかわろうとしている中、特に環境問題はアートの大きな一つのテーマとなりつつあります。西部清掃工場(愛称「エコロの森」)は税金を投じた公共事業であり、今後の廃棄物処理や資源循環型社会のあり方を方向づけると同時に、ごみやリサイクル、環境問題、資源問題といった環境教育や啓発を行っていくところであります。 アートという手法を用いながらこの問題を市民にわかりやすく説明し、関心を持ってもらい、また市民参加を呼びかけていきたいと思います。じん芥処理組合に対し、古賀市として提言していきます。 (3)交流とアート。 青柳地区は古くは唐津街道の宿場町として栄えましたが、現在は古い民家や町並みが面影を伝えるのみです。 この地区に隣接して整備されていますグリーンパークは、市民へのスポーツ、レクリエーションの活動の場を提供するとともに、広域幹線道路に面した古賀市と外部を結ぶ交流拠点としての意味を持っています。また、11月にオープンしましたコスモス館は、地元の物産を中心とした交流拠点ですが、今全国で取り上げられている道の駅、まちの駅づくりをこのコスモス館を中心に行いたいと思います。 ここに、さらに若者文化の代表的な施設としてスケートボードパークの建設を進めたいと思います。スケートボードは単なるスポーツとしての意味づけのみならず、そのスタイルや背景が持つサブカルチャーとしての文化的な意味も大きいと思います。 スケートボードを楽しむ若者のファッション、アート的な感覚、音楽などをこの施設を中心として展開する計画です。単なるスポーツ施設でなく、その施設に芸術文化の側面としてアートを取り入れ、全国にも誇れる若者交流施設を目指します。この地域を仮称「平成青柳宿」と名づけます。 このほかにも本年10月に初めて開催いたしました「プロムナードコンサート」は、これまで古賀市には少なかったクラシック音楽を、しかも屋外で楽しむという新鮮な楽しみをもたらし大好評でありましたが、このような企画は今後も継続し発展させていきたいと考えております。 このような活動は、冒頭で述べましたように一方的に行政主導で行うべきものではなく、市民、企業、行政が一体となって古賀独自の運動として展開していくことが理想です。また、上記3視点を手始めに、今後古賀市全体を対象にアートを活用した施策を展開していこうとするものです。 その実行母体として、全国に先駆けて文化芸術評議会(アートカウンシル)のような第三者機関をつくることも視野に入れる必要があります。行政はそのガイド役として、あるいは活動支援の裏方としてこの文化芸術振興策を展開すべきだと思います。この文化振興策が「こがアートタウン構想」であり、ここに提言するものです。
ネットで意見を募った中村市長
この提言がユニークなのは、長らく古賀市のポータルサイトだったよかくさ古賀の掲示板にその草案が市長の手によって(?)投稿され、議論になった(参照)ということも挙げられます。 この草案は選挙翌日の2002年12月2日の0:03に投稿され、12月5日付の市民の意見を求める呼びかけが12月6日の3:45に投稿されています。
さすがに
福岡県古賀市は、人口5.5万人位の地方都市だが、 6年前就任した中村隆象市長は、即座にホームページを刷新、 05年からは全国初の本格的市長ブログを開始。
その評判により、HPのページビューが年々増加中。
毎月市庁内広報担当者会議において、 小さなネタをも市民に役立つ情報を提供、 市民参加による広報を実践し喜ばれている。 (参照)
と書かれる中村市長です。
ちなみにその草案は、以下のようなものでした。
古賀アートタウン構想 文化芸術の振興について市長アピール(第2次素案) 古賀アートタウン構想 大宰府市民は全国で最も自分の市を誇れる市民であると言われています。 日本全国どこへ行っても自分は太宰府市から来たと胸を張って言えるそうです。 それはおそらく太宰府天満宮→菅原道真→学問の神様と連想されることからくる良いイメージによるものと思われます。 古来、「文」は「武」の上位におかれており、武力や富では人の心の支えになったり、人の尊敬を受けることはできません。我々の人生の中で最終的に求めるものは、 やはり文化芸術であります。 経験的には文化芸術の振興は健康の増進や犯罪の減少にもつながることがわかっており、地域社会づくり全般に寄与するものであります。又社会の成熟に伴い経済活動 を動かす要因として「文化」が大きな役割を果たすという認識のもと、文化経済学という学問分野が成立しています。 戦時に敵国の文化施設や文化遺産を破壊したり、美術品を没収したりするのも、相手の心の支えを奪おうとする心理作戦であり、このことからも文化芸術が人々の心の豊かさをもたらすと共に、心の支えとなっていることがわかると思います。 第二次大戦後、荒廃したパリで真先に復興、再建したのはオペラ座でした。わが国では昭和25年に金閣寺が焼失しましたが、その時、国民が心の支えを無くしてしまったことから、文化財保護法の制定に至りました。 最近では、2001年12月に文化芸術振興基本法が制定され、その重要性が再認識されています。 また上記太宰府市は、福岡県内で唯一、文化振興条例を制定しています。(平成9年9月) 古賀市においては、安全で快適なまちづくりをこれまでどおり強力に推進していくと共に、市民と行政が一体となって文化芸術を振興していくことが、はつらつ交流都市古賀の実現につながり、又人が真ん中の古賀市づくりにつながるものと思います。 従来より古賀市におきましても、文化芸術に対する熱心な取り組みがなされてきておりますが、新たな挑戦としてここに「こがアートタウン構想」を提言したいと思います。 ここに提言する、文化芸術振興策の一手段としての「アート」とは、古典的に定義されてきた、いわゆる絵画や彫刻といった、個人の表現としてのアートのみを意味し ているものではありません。 文化芸術の振興は、ただ単にその分野の専門家や特別な人々の活動を支援するばかりでなく、一般の市民の方々が、豊かな文化芸術にふれ、あるいは芸術を志す人々と交流することで、より創造的な市民意識が熟成され、そのことがひいては古賀の個性を生み出し、人々が街に誇りを持つようになる、そのようなプロセスだと思います。そのような環境は、同時に青少年にも豊かな情緒、情操をもたらすはずです。 古賀アートタウン構想は上記を踏まえて以下の3つの視点から古賀市が今後取り組むべき課題の解決にアートを活用したいとするものです。もちろんこれが文化芸術の 振興の中では、ほんの一部の切り口に過ぎず、又本来文化芸術を担うのは、市民一人一人であって、行政は支援するあるいはきっかけを作る役割を果たすことになると考えます。
1. 中心市街地の活性化とアート JR古賀駅周辺は今後古賀市の中心市街地として整備し、活性化を図っていく必要がありますが、西口商店街をはじめとしてかつての繁栄が見られず、中心市街地としては充分な機能を果たしているとは言えません。 ただこのような現象は古賀市特有の問題ではなく、全国に同じような状況があり、その活性化には多くの市町村 が悩みながら、特効薬もないのが現実であります。 この解決にはこれまでのように単なる「物」の販売ではなく、「情報」や「スタイル」あるいは「何か古賀独自のもの」を発信していく必要があります。 広義のアートは、商店街の活性化といった既存の手法が行き詰まった状況を打破する突破口になる可能性を秘めています。 今、古賀駅西口の商店街で、こころざしのある若いアーティストが活動しています。 空き店舗をアーティストの活動の場、あるいは発表の場としている「飛行商会」「一二会」「山根ARTs」がそれです。 アーティスト活動を支援する「点」が、そのうちに「線」となり、さらに「面」として広がっていくことが、間接的ではありますが、商店街の発展につながり、ひいては古賀の個性につながっていくと思います。 また古賀駅は他の駅と比べても、とりたてて特徴あるものではありませんが、駅全体、あるいは駅周辺も含めてアートを使って活性化する。又そのため多くの才能ある若者、芸術家の発表の場として場所を提供することも考えられます。これを(仮称)「アートする駅」と名づけます。
2. 環境とアート 近年アートが広く社会の抱えている問題に関わろうとしている中で、特に環境問題はアートの大きなテーマとなりつつあります。 西部清掃工場(愛称「エコロの森」)は税金を投じた巨大公共事業であり、今後の廃棄物処理や資源循環型社会のあり方を方向づけると同時に、ゴミやリサイクル、環境問題、資源問題といった環境教育や啓発を行っていくところであります。 アートという手法を用いながらこの問題を市民にわかり易く説明し、関心を持ってもらい、又市民参加を呼びかけていきたいと思います。(じん芥処理組合に対し、古賀市として提言していきます。)
3. 交流とアート 青柳地区は古くは唐津街道の宿場まちとして栄えましたが、現在は古い民家や街並みが面影を伝えるのみです。この地区に隣接して整備されていますグリーンパークは、市民へのスポーツ、レクリエーションの活動の場を提供するとともに、広域幹線道路に面した、古賀市と外部とを結ぶ交流拠点としての意味を持っています。また11月にオープンしましたコスモス館は、地元の物産を中心とした交流拠点ですが、今全国でとり上げられている「道の駅」、「まちの駅」づくりをこのコスモス館を中心に行います。 ここにさらに若者文化の代表的な施設として[スケートボードパーク」の建設を進めたいと思います。 スケートボードは単なるスポーツとしての意味づけのみならず、そのスタイルや背景がもつサブカルチャーとしての文化的な意味も大きいと思います。 スケートボードを楽しむ若者のファッション、アート的な感覚、音楽などを、この施設を中心として展開する計画です。単なるスポーツ施設でなく、その施設に芸術文化の側面としてアートをとりいれ、全国にも誇れる若者交流施設をめざします。この地域を(仮称)「平 成青柳宿」と名づけます。 この他にも本年10月に初めて開催しました「プロムナードコンサート」はこれまでに古賀市には少なかったクラシック音楽を、しかも屋外で楽しむという新鮮な楽しみをもたらし大好評でありましたが、このような企画は今後も継続し、発展させていきたいと考えております。 このような活動は、冒頭で述べましたように一方的に行政主導でおこなうべきものではなく、市民、企業、行政が一体となって、古賀独自の運動として展開していくことが理想です。又、上記3視点を手はじめに、今後古賀市全体を対象にアートを活用した施策を展開 していこうとするものです。 その実行母体として、全国に先駆けて「文化芸術評議会(アートカウンシル)」のような第三者機関を創ることも視野に入れる必要があります。 行政はそのガイド役として、あるいは活動支援の裏方として、この文化芸術振興策を展開すべきだと思います。 この文化振興策が「古賀アートタウン構想」であり、ここに提言するものです。 2002年11月古賀市長 中村 隆象
なぜ選挙が終わって出したのか?
同じような文章が2つ並べばまさかここまで読む人はいないだろうと思うので、この辺で噛み付いておきます。
そもそも、11月には素案ができていたアートタウン構想を選挙後に発表したのはなぜなんでしょうか?本来なら、こういうものは選挙前に提示して市民の審判を仰ぐべきだと思うのですが。
確かに古賀アートタウン構想自体は2002年6月12日に平成14年第2回定例会第3日で中村市長が出馬表明をした際に、 「やはり文化芸術の振興が必要だと考えております。御存じのとおり、文化芸術は心の支え、心を豊かにするものでございますが、一方では、文化芸術が盛んな地域では犯罪の減少、あるいは健康のレベルアップというものが実際に検証されているということも聞いております。そのための手段といたしまして、古賀アートタウン構想というものをつくりたいと思っております。」 と言っています(参照)。
また、2002年9月11日の平成14年第3回定例会第3日でも、 「具体的には、今年度、「個性ある美しい街並み基本計画」を作成いたしますが、それと連動する形で古賀アートタウン構想を提言したいと考えております。その中で、例えばでございますが、ニビシ醤油の壁を使ったアートウオール事業、若者の交流のために今後計画していきますスケボーパークの中に、芸術的要素を取り込むなど、市民が文化・芸術に親しめる環境づくりを推進したいと考えております。」 と言っています(参照)。 しかしせっかく素案ができて市民の声が聞きたいということなら、どうしてもっと早く聞かなかったのだろうという気がします。
おそらく、市議会での発表に市民の声はあまり反映できなかったのではないかという感じがします。
惜しいことです。 (つづく)
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