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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
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西鉄と福岡市の50年戦争
 広島市のヒューマンウェルフェア広島専門学校(ブログ)の介護福祉学科(定員40名)と第二介護福祉学科(夜間:定員40名)が、入試したにもかかわらず募集停止を決め、受験者全員を不合格としたのだそうです。
 まあ、受験者が5名と6名だったのだそうなので、無理もないかなとも思いますが(参照)。
 福祉の現場はこうやって崩壊の一途をたどっていくのであった・・・。

 と、いうことで、昨日の続きです。

福岡市と西鉄との50年戦争

 そもそも、福岡市と西鉄は色々な面で協力しているのでしょうが争い事があるのも事実です。
 一番知られているのが、福岡市内線の譲渡契約に関する争いでしょう。

 まず、西鉄側の言い分を見てみましょう。

 福岡の地に博多電灯会社が設立されたのは明治二十九年(一八九六)五月、業績は順調に伸びていった。その余剰電力を使って電車を走らせようと明治三十四年ごろから地元の経済人が中心となって電車会社の設立を図った。しかし、当時の福岡市の人口は約八万人。果たして採算がとれるか危ぶむ声も強く、資本も集まらず、計画はなかなか進まない。
 一方、福岡市も将来を考えると電車は絶対に必要だと明治三十九年~四十年ごろ、電気軌道敷設免許を申請出願したが、こちらも建設費がひねり出せず、赤字覚悟の電車運行には今一歩踏んぎりがつかず、手をこまねいていた。
 窮余の一策、福岡市は博多電灯会社の相談役を兼ねていた関西財界人で中央政界にも通じた福澤桃介(中津出身、福澤諭吉のいとこ)に電車会社設立を頼み込んだ。福澤桃介は、直ちに片腕とたのむ松永安左衛門(長崎県壱岐出身で、電力の鬼といわれた事業家)に現地調査をさせた。
 成算ありと見込んだ福澤は、福博電気軌道設立の意を固め、明治四十年(一九〇七)三月、福岡市がさきに出していた軌道敷地免許をとり下げさせ、代わりに「会社を設立して事業を開始したら、五十年後には一切の設備を無償で福岡市に譲渡する」という契約を市との間でとり交わした。
 翌年十二月、福澤、松永を総代に二十二人の発起人会ができあがり、大名町~博多座前(後の東車庫前)間の軌道敷設免許を得て会社設立準備を進めた。福岡市は、明治四十三年三月から福岡市で開催予定の「九州沖縄八県連合勧業共進会」の開催日までに何とか電車を走らせてほしい、と有力発起人たちに懇願した。
 しかし、折からの不況で採算のメドが立ちにくくなり、発起人側は「五十年後に市に無償譲渡するという条件がある限り、会社設立は望めない」と譲らない。背に腹はかえられぬ、とついに福岡市が折れて無償譲渡の条項を削除、明治四十二年(一九〇九)九月、やっと福博電気軌道が設立されたのである。
(平山公男 博多チンチン電車物語 葦書房 1999)

 著者の平山氏は元西鉄電車の運転士で、後に広報や社史編纂の仕事をなさった方のようです。
 西鉄の公式見解ではありませんが、ある程度西鉄側の言い分を代弁していると見ていいかと思います。
 これだけ読むと、福岡市はなんて虫がいいんだろうと思います。
 頼んで市内電車を作ってもらいながら、50年後にはただでくれというのは厚かましいにも程があります。

 次に、福岡市側の言い分を見てみましょう。

 1910年(明治43年)に博覧会「九州沖縄八県連合勧業共進会」の開催を予定していた福岡市は、それまでに路面電車を走らせようと1906年12月、敷設免許願を知事に提出した。
 ところが、西鉄の前身で福沢諭吉の女婿・福沢桃介らがつくった福博電気鉄道(ママ)も乗り出してきた。競合を避けるため市が出願を取り下げたが、このとき両者の間で交わされた契約書が後に大きな混乱を招く。
 契約の第2条には「満五十ヵ年を経たるときは(中略)一切の設備を現状のまま無償にて福岡市に譲渡すべし」とある。つまり、50年後には路面電車を市にただで譲るという約束だった。
 50年が過ぎた昭和30年代、市と西鉄の間で、この「契約」の有効性を巡って大論争になった。「返せ」「返さない」という感情的な対立にまで発展し、「西鉄との50年戦争」と呼ぶ市職員さえいた。
 「『西鉄まかせでなく市が自前の交通機関を持たなければ』という思いが、地下鉄建設の原点の一つだった」。市交通局施設部長の恒松隆(59)はそう語る。
 1961年(昭和36年)に3万2235台だった福岡市の自動車保有台数は、71年には16万6520台となり、10年で5倍に激増。一方、道路は13%しか伸びず、慢性的な渋滞に悩まされるようになった。 路面電車も渋滞のあおりで、ラッシュ時は自転車に追い抜かれるほど。現在、地下鉄で約20分の姪浜-博多間が約1時間かかった。
 無償譲渡問題は70年8月、西鉄が市に1億5000万円を支払うことで和解する。当時の市政だよりには「速やかにこの問題に終止符を打ち、将来の都市交通対策に取り組むことが市民のための最善の策である」と和解の理由が記された。
(キーワードでさぐる時流源流 市営地下鉄 2006年6月9日付読売新聞)

 もう、福岡市内線敷設の最初の段階から食い違っています。
 これだと、福岡市が先にもっていた免許を民間に譲ったようなものですし、50年後に返せといわれても分からないでもありません。

 実際に市政だよりを見ていないので断言できませんが、西鉄が1970年に1億5000万円を払ったのは事実なのでしょう。
 ある程度市の言い分に理がなければ、ちょっとおかしいような気がします。

 話では、その後市内電車の線路があった部分は西鉄の土地か福岡市の土地かでまたもめたようです。


【2009年6月10日追記】

 あ、福岡市側が一方的に正しいと信じているわけではないですよ。
 結局、どっちも当事者だから信用ならないということです。

【2012年5月8日追記】

 石橋源一郎・波多江五兵衛編の想い出のアルバム・博多、あの頃という写真集に、以下のような文章がありました。

318 大正11年に城南線の工事が始まった。この頃、電車市営案が久世市長の提案で市議会に上程された。これに対して九水の博軌電車は、買収案が決定されたら工事を中止すると言い出し、議案は見送られるという内幕もあった。
(石橋源一郎・波多江五兵衛 想い出のアルバム・博多、あの頃 葦書房 1977)

 九水とは九州水力電気株式会社の事。
 九水は、1911(明治44)年に東京、福岡、中津の実業家たちが設立した会社で、大分県の筑後川水系に水力発電所を作って北九州地区に電気を送っていた会社のようです(参照参照参照)。
 九水の設立には、筑豊御三家の麻生太吉も参画していたようで、1913(大正2)年には取締役に、1928(昭和3)年には社長に就任しています(参照)。
 ちなみに本文中に出た福博電気軌道は九水のライバル会社である東邦電力系の会社でした。親会社の電力会社が合併を繰り返したので、後に博多電燈軌道、九州電燈鉄道、関西電気、東邦電力と社名を変更しているようです(参照参照参照)。

 博軌電車というのは、1911(明治44)年に博多駅前(当時)~天神町~取引所前(須崎)を開通させた博多電気軌道の事で、本文中に出た福博電気軌道のライバル会社にあたります。
 大阪系の資本であった福博電気軌道と違い、博多電気軌道は渡辺與八郎を始めとする地元資本によるものでした。
 そういった資本の弱さや、福博電気軌道との競争もあってか、1912(明治45)年には電力を供給していた九水に救済合併されています(参照)。

 いずれにせよ、福岡の市内電車には福博電軌系と博多電軌系があり、福博電軌系は設立時に、博多電軌系は市営案上程時に市役所と争ったことになります。

 さて、その後、電力会社の鉄道事業分離と利用者の利便性向上のため、東邦電力の福岡市内線(福博電気軌道)と博多電気軌道は合併して1934(昭和9)年に福博電車という会社になっています(参照)。
 九水は設立当初から九州電燈鉄道と「合併申合書を交換し、以後合併交渉を進め(参照)」ていたのだそうで、30年越しの恋が実ったということでしょうか。

 なお、九水は1930(昭和5)年10月に北九州地区の九州電気軌道も傘下に収めています(参照参照・高嶋修一 エポックで綴る西鉄の100年 鉄道ピクトリアル847号 2011年)。
 そして、九水が鉄道事業を分離した際に傘下の鉄道会社株は九軌に譲渡されます。
 九水の20年史によると、関連会社として博多電気軌道株式会社と別大電気鉄道株式会社があったよう(参照)なので、その両社の株式は譲渡されたのでしょう。
 具体的には、別大電鉄株は1940(昭和15)年に九軌に譲渡されたようです。
 同年に九軌の配電部門は九水に譲渡され、鉄道専業会社として九水から独立した形になったようです(参照参照・小川功 西日本鉄道グループの系譜-戦前期のあゆみを中心に- 鉄道ピクトリアル668号 1999年・高嶋2011)。
 九水は福博電車の博多電軌の分の株式を持ってたのではないかと思うのですが、これについては資料がありませんでした。
 九軌は別に、1938(昭和13)年に耶馬溪鉄道も傘下に収めていたのだそうで(小川1999)、その上小倉と行橋を結ぶ豊州電気鉄道も1939年に出願。
 さらには宇佐参宮鉄道の過半数の株式も手に入れていたようです(高嶋2011)。
 他にも九軌は、宮崎県の延岡バス、宮崎バス、都城バスの株を譲渡されていたようです(小川1999)。

 また、1938(昭和13)年の電力国家管理に伴って、東邦電力も1940(昭和15)年に九州鉄道と福博電車株を九州電気軌道に譲渡しています(参照参照・高嶋2011)。

 結局、福岡県内の私鉄の大部分が九軌のグループになったということで、後の西鉄発足に繋がるようです。

【2012年5月9日追記】

 ちなみに、福博電軌と福岡市の間には別の条件もあったようです。

 更に、破産前の福松商会が、福岡市の依頼により市内に電気軌道敷設の目論見書提出をしていたのが明治42年(1909)に許可されたので、桃介に会社を設立して事業化したいと相談した。
 この出願の時の条件として、43年(1910)の3月に福岡市で第13回九州沖縄八県聯合共進会を開催するので、それ迄に軌道を敷設せねば5万円の罰金を払うという條件があり、大阪の今西林三郎・名古屋佐分利慎一郎らの有志に株の引き受けを纏めて来たから少しでも株を持って欲しいと言うのである。
(3.福沢桃介の「電力を関西へ」(前編))

 こうなると、市と福博電軌との間の契約書の原文が見たくなりますね。


【2015年11月29日追記】

 2012年5月8日の追記で詳しく書いた九州水力電気株式会社(参照参照)。
 九州には、日窒コンツェルン(参照)傘下の日本水電ってのもあったようです(参照)。
 で、そこのガス部門が日本ガスなんだとか(参照)。
 九州電力との提携も検討するという日本ガス(参照)。
 同じ兄弟会社なのに、東邦電力系の西部ガスとはえらい違いだ(^_^;)
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