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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
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パラソルライン?相ノ浜?新宮・古賀・福津海岸の統一名称がいよいよ決定!!
 市民湾岸会議のサイトに「パラソルライン」という言葉が出ていました。

相の島を傘の柄としたら新宮、古賀、福津の海岸線はちょうど傘を開いた形になることから、新宮海岸~古賀海岸~福津海岸線を結んだ線をパラソルラインと呼ぶことにしました。この線を結ぶと約10kmにおよびます。海岸沿いには松林が続いていますが、10kmにおよぶ松原は日本では最長です。三つの町がつながることで日本一の松原が誕生することになります。新宮町、古賀市では地域住民のボランティアによる松原の手入れがなされています。
松原の現状を観察しようということで、市民湾岸会議ではこの松原を歩いてみました。
(パラソルライン)

 てなわけで去年の11月22日に「新宮海岸~古賀海岸~福津海岸」の松原散策をしたそうです。
 てか、その場所って僕らが言ってる「相ノ浜」と同義ですな。

 「相ノ浜」というのは、津屋崎漁港から新宮漁港にかけての白砂青松の弓形の海岸線に僕らが勝手に付けた名称です。
 この辺りの海岸は綺麗で、ロマンチックなサンセットビーチなんですがマイナーなんですよね。
 で、この辺りの統一名称があれば売り込みやすいのではと津屋崎の町おこしグループの人やら古賀の商店主の方やら友人の占い師やらと協議して付けたのが「相ノ浜」。
 「相島(相ノ島)」と相対している浜だからという単純な理由です。
 「恋の浦」のパクリという説もあります。

 昔からあるように見せかけていますが、あまり根拠はありません。
 「パラソルライン」の方が有名なら乗換えよっかな。

<「パラソルライン」も造語>

 で、調べてみたら、この「パラソルライン」。あまり有名ではありませんでした。
 でも、わずかにこういう記述が・・・。

 新宮海岸は、夏には海水浴場として、また海岸一帯は砂浜や松林などが美しい景観を楽しめる散策コースとしても親しまれています。
 ゆるやかな弓なりのカーブを描く海岸は通称「パラソルのふち」ともいわれ、海岸線には歳月を感じさせる松が2キロ以上にわたって植えられています。これは17世紀、当時の福岡藩が植林したもので、海風や砂から作物を守る目的から「楯の松原(たてのまつばら)」と呼ばれました。20万本の松苗を植えたという記録もあり、今も守り継がれています。
(新宮海岸 - 新宮町)

 「パラソルのふち」と言ってますねぇ。
 新宮町と湾岸市民会議に共通する人が付けたということですかね・・・。

 いずれにせよ、「パラソルライン」も現在のところ「相ノ浜」と同じくらいマイナーなようです。

<じゃあ、「盾の松原」は?>

 でも、このページに出ている「盾の松原」という名前はなかなかいい感じです。
 とても空港なんか作っちゃいられないような玄界灘の寒風から僕たちを守る盾の松原。
 すばらしいネーミングセンスですね。

 ここの松を植樹、管理したり啓発したりしている「筑前新宮に白砂青松を取り戻す会(参照)」の活躍で、全国的にも注目されている(参照)ようです。

 大根洗いプロジェクトと同様、環境教育の側面も重視しているようです。

 福岡県の快適な環境スポット三十選にも選ばれている(参照)そうですしね。

 とりあえず「盾の松原」の範囲を確認しておこっと。

村ノ北ニアリ。
東西十三町(約1,400メートル)
南北十町三十間。(1,100メートル)
此村海ニ接シ、北風ニ田圃ヲ傷ヘリ。
故ニ延宝ノ頃(1,670年代)
松ヲ植テ風ヲ防キシヨリ、
作毛ノ害ヲ免レタリ。
因テ楯ノ松原ト名グ。
  「地理全誌 下府村ノ部」より
(身近な松原散策ガイド 115楯の松原)

 うーん。どうも新宮町域限定のようですね。

<「花見松原」なんか広いですよ>

 そう考えると、まだ古賀市と福津市にまたがる「花見松原」という名前を強調しておいた方が良さそうです。
 花見松原については、「延長1kmの海岸には、数百本の松が白砂と調和して見事な景観を見せている。(参照)」等と書かれていますが、この数字はあくまで福間側の花見松原のみの数字で、古賀市側を合わせればもっと広くなります。

 この辺りでは、福間のとんち話の主人公又ぜーさんが狐に化かされた(参照)ことでも知られています。
 まあ、江戸時代から沢山の松があったということですね。

○花見松原
當國八所松原の随一也。花見山の四邊に在る松原成ゆゑ、花見松原と號す。方九町(約9ha)許有。悉く是席内の境内也。又此西に花津留(くわづる)村有。花見松原につゞきて松原有。花津留は古賀村に属す。昔は漁人有し故、花津留浦と云。今は漁人なし。只農人のみ有。此邊に、夜に入て鬼火時々見ゆ。其大さ松火のごとくにして、飛かける。
(貝原益軒 筑前国続風土記 巻之十九 糟屋郡 裏 1709)

 約9haですから現在のJR鹿児島線と海と西郷川と花鶴川に囲まれた面積とほぼ同じです。
 恐らく、現在の花見地区よりももっと広く、古賀地区にも及んだ松林なのでしょう。

 「當國八所松原」とは、恐らく筑前八所松原(筑前八松原)のことであろうと思われます。
 現在、神湊から鐘崎のさつき松原が「筑前八松原の筆頭松原」と言っている(参照参照参照)ようですが、貝原によると箱崎松原(糟屋郡)、地蔵松原(糟屋郡)、百道松原(早良郡)、生松原(早良郡)、岡松原(遠賀郡)、志賀松原(那珂郡)、花見松原(糟屋郡)、那多松原(糟屋郡)(参照)の8つのようです。
 位置はこちらが分かりやすい。

 そのうち、百道松原等も市民団体による再生が行われているようです(参照)。


<ちなみに花見の名前は・・・>

 この「花見」という地名。「花見山」という山から取られているようです。

○花見山
席内村の境内、海邊に在。此山は、唯砂の高き岡也。山とは稱しがたし。然れ共、是に登りて眺望すれば、海陸の緒山廣く見えて佳景也。昔此邊藤花甚多く、松樹に蔓延せり。大友氏豊後より爰に來りて此山に藤花を見し故に花見山と云。
(貝原益軒 筑前国続風土記 巻之十九 糟屋郡 裏 1709)

 席内村の海辺ということですから、現在の古賀市花見地区のどこかなのでしょう。
 ちょっと高い砂山という感じのようですから、どこだか見当がつきません。

 一応、現在でも浜山という地名はありますが・・・。

 他にもこのような記述が・・・。

花見松原、昔大友下向の時、見事なる藤の花ご覧遊ばされ候に付き、是より『花見』の名起こるとか也
出典:元禄年間に書かれたと思われる「筵内風土記」
(西鉄沿線)


※「花見の名」
昔は藤の名所であったといい、豊後の大友宗麟が毎年花見の宴を張ったので、この名があるという。
人文社「郷土資料事典・福岡県」より
(「防風林と浜山」)


 ちなみに前者のページには豊臣秀吉説が紹介されていますが、それは僕が記憶違いでこちらに書いたものです(^_^;)
 一言言ってくれれば記憶違いかもって言ったのに・・・。

 まあしかし、「花見松原」と言い切ってしまうと新宮や津屋崎の人が怒るかもなぁ。

<この辺り一帯の松は黒田光之が植樹?>

 ただ、面白い共通点もありました。

※「花見松原」
寛文年間(1661~1671)に植えられた数百本の松が、玄界灘の潮風によって種々な格好にたわめられ、白砂と調和して見事な景観を呈している。
(「防風林と浜山」)

 花見松原の植樹は寛文年間(1661~1672年:参照)。盾の松原は延宝年間(1673~1681年:参照)。ほぼ同じ頃です。

 当時の福岡藩主は、1654年から1688年まで務めた3代目の黒田光之(1628.6.17-1707.6.19・参照)。
 黒田光之は2代目の忠之(1602.11.9-1654.2.12・参照)が首にした貝原益軒(1630.12.17-1714.10.5・参照)を再度召抱えて「筑前国続風土記」を書かせた張本人だそうです。

 つまり貝原益軒は主君が植えた松を「當國八所松原の随一也」と褒め称えていたわけですな・・・。

<そもそも名前が多すぎる>

 それはさておき、この辺りの海岸には名前が多すぎます。
 一般的には旧津屋崎町の海岸を津屋崎海岸、旧福間町の海岸を福間海岸、古賀市の海岸を古賀海岸、新宮町の海岸を新宮海岸と呼んでいます。
 最近では、津屋崎海岸と福間海岸を福津海岸と呼ぶこともあります。
 さらには津屋崎地区には津屋崎海水浴場があり、宮司地区には宮地浜海水浴場があり、福津市から古賀市にかけては花見海岸と呼ばれ、花見を除く古賀市の海岸を花鶴浜と呼ぶ(参照)ケースもあります。

 また、松原も新宮町の盾の松原と福津市と古賀市の花見松原だけでなく、古賀ノ松原なんて名前もあるそうです(参照)。

 確かに名前を決めようと思っても一筋縄にはいかないですわ。

<名前がバラバラなら保護もバラバラ>

 そういう事情があってかなくてか、一帯の海岸と松林は玄海国定公園に指定されているにも関わらず、一体的な保護等が図られているわけではありません。

 もちろん、例えば古賀市では「海岸部の松林は玄海国定公園に指定され、散策などに利用されているため、維持、保全を図る。(参照)」とされています。
 保護の対象となっているようですが、どうも行政からの積極的な保護策はとられていないようにも見えます。

<動き出した市民団体>

 そういうこともあってかなくてか、この地域の松林では色々な森林ボランティア団体が活動しています。
 先に出ていた「筑前新宮に白砂青松を取り戻す会(参照参照)」を始め、「西っ子憩いの松原(参照参照)」、「花見小学校区コミュニティ松原ネット花見(参照参照参照)」、「古賀市ボランティアグループ「ウィズ」(参照)」、「花見松原を蘇らせる会(参照)」、「福間海岸のみどりをふやす運動の会(参照)」等が活動しているようです。

<結局名前はどうします?>

 これらの団体には横のつながりがあるようなので、今後何らかの名前が付けられるかもしれません。
 ここは一つ実際に汗をかいていらっしゃる方々に敬意を表してあえて結論は出さないことにします。

 本当は、いい名前が思い浮かばないだけですが(^_^;)

 一応、色々候補を書いておきます。

 まず、前述した「パラソルライン」と「相ノ浜」。

 次に、広義の宗像(参照参照参照)の南部海岸ということで「宗南海岸」。
 湘南のパクリだろとか「そうなん」なんて縁起でもないと叩かれつづけています。

 今回ひらめいたのが、黒田光之時代の松原が広がるということで「光之松原」。
 「みつゆきまつばら」ではなく「ひかりのまつばら」です。
 夕焼けの頃に散歩すると、松の木々からこぼれる光が美しいんですよね。

 最後に、真珠の一大拠点一帯の海岸ということで「真珠海岸」。
 決して英訳してはいけません。


【2013年7月25日追記】

 中村学園図書館貝原益軒アーカイブにある筑前国続風土記を見ると、福間と新宮の間の浦を蓑生浦と呼んでいたという話(参照)です。
 ただ、これは村の名であるようです。
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