湾鉄調査部
元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
広告


プロフィール

therapie

Author:therapie
 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
 筆者転居のため、最近は福岡市内の情報をメインに書いています。
 自分の興味が向いたものを、自分勝手に調査しています。
 今のところ、基本的に毎週日曜日に更新しています。
 お問い合わせはメールフォームからお願いします。



最近の記事



カテゴリ



最近のコメント



最近のトラックバック



ブログ内検索



月別アーカイブ



RSSフィード



リンク


ブログパーツ類
あわせて読みたいブログパーツ

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村 鉄道ブログへ

ジオターゲティング


検索






Join the Blue Ribbon Online Free Speech Campaign


鞍手軌道
 先日、日本鉄道旅行地図帳12号を買いました。
 九州沖縄編ということで、珍しく平積みされていました。

 おかげ様で宮地岳線と香椎線の新しい情報が入ったので、少しずつ更新していこうと考えています。

<鞍手軌道というものがあった>

 その中に、1914(大正3)年3月10日から1938(昭和13)年7月24日の間、直方~福丸の間に鞍手軌道なる路面列車が走っていたことがわかりました(全線開通は1915年10月28日)。

 鞍手軌道は明治45年3月19日設立許可(参照)。
 1914(大正3)年3月10日竜徳~福丸開通。
 1915年6月12日新入~竜徳開通。
 1915年10月28日直方~新入開通(参照)。
 1938(昭和13)年7月24日廃止。
 だそうです。

 宮地岳線の前身である博多湾鉄道汽船が和白から(旧)宮地岳の営業を開始したのが1925(大正14)年7月1日。
 それに伴い、1924(大正13)年1月に福間~津屋崎間を結んでいた津屋崎軌道と合併しています。

 その後の1927(昭和2)年7月頃、博多湾鉄道汽船の太田清蔵社長(貴族院議員)が、政友会幹部の富安保太郎貴族院議員を通じて、小川平吉鉄道大臣に西戸崎~宇美間と酒殿~旅石間の国有化を要請しています(五大私鉄疑獄)。
 太田社長は、売却で得た資金で(旧)宮地岳~津丸~八並~若宮および若宮~長井鶴~南幸袋~西飯塚を建設しようとしたとのことです。
 結局、この計画は1929(昭和4)年8月頃に発覚してご破算になった(参照参照)わけですが・・・。

 もしこれがうまく行っていれば、鞍手軌道も買収しようとしたかもしれないですね・・・。

<鞍手軌道の廃止>

 調べてみると、みやわかふれあいページの中に鞍手軌道史鞍手軌道の質問に答えますというページがありました。

 廃止になったのは、昭和13年です。廃止に近い頃、直方操車場の事務所には、従業員が35名いました。その中の一人、川原三郎氏(須崎町)によると、「鞍手軌道はなつかしい言葉です。何十年ぶりにききました。私が勤めて3年して廃止になりました。機関車の数は、5、6台ありました。経営内容はよく判らないが 利益は余りないようでした。どうにかやりくりしていたみたいでした。利用者からは廃止反対の声は全然起こらなかった。それというのも貧乏会社と知っていましたからね。
 それに、この軌道会社は、兼業としてバス(旅客運輸自動車営業)もタクシーの事業もしていました。廃止になっても会社そのものは道路、通行などの営業権の譲渡やレールの売り上げなどで利益は相当あげたであろうと従業員間でうわさをしていました。
 国鉄バスの有利さは人件費の相違ですよ。バスは運転手と車掌の二人きりでしょうが。ところが、機関車はそれに助手を加えた3人です。しかもレールの修理費がかさむし・・・。
 それにバスの普及があります。ちなみに大正2年頃、直方駅から下境、溝堀まで乗合自動車が列車到着ごとに走っていました。
 昭和3年には、直方~福丸~福間間及び直方~小竹~飯塚間の運行が開拓されました。
 当時は、6人乗りが中心で、料金は70~130銭が相場でした。
 でも根本は、国家財政(のちの国鉄バス営業)と一民間会社(地方の私企業)の資本金の差でしょう・・・。」
 以上の理由により、23年間、のどかな田園地帯を走り続けた蒸気機関車(別名マッチ箱と愛称されていた。)も時代の大きな波に飲み込まれてしまった。
(梶原康久 鞍手軌道小史 県史だより第104号1999年7月 福岡県地域史研究所)

 そういうお金がない会社なら容易に買収できたかもしれません。
 逆に言うと、そういう会社を買う必要があるのかって話ですが・・・。

 まあ、終点の福丸で福岡方面の電車と接続できていれば、福岡~直方間の最速ルートができたでしょうからね。
 多少は経営状態が改善したのかもしれません。

 まあ、博多湾鉄道汽船の津屋崎村~若宮村(宮地岳~津丸~八並~若宮)の免許(15.7km)は1935(昭和10)年6月11日に失効。
 翌1936(昭和11)年1月30日には若宮村~飯塚市(若宮~長井鶴~南幸袋~西飯塚)の免許(15.1km)も失効(参照)したそうですから、鞍手軌道よりも早くあきらめたというわけですが・・・。

<福岡~直方だけでなく福岡~門司も・・・>

 以前触れましたが、1918(大正7)年12月31日には九州電気軌道(後の西鉄北九州線)が折尾~福岡への路線延長を出願し、1919(大正8)年12月18日に折尾町~上辻堂町(博多駅)(47.3km)の特許を取得しています。

 その後起点を黒崎町に変更(53.6km)。経路は黒崎~直方~若宮~山口~上西郷~福間~(鹿児島本線に併走)~博多。後に修正し、直方を通らず現在の新幹線に近いルートで赤間駅南方に到達する計画になったそうです。

 1928(昭和3)年9月に九州電気軌道は福岡延長線建設部を設置、用地買収に乗り出しました。
 1930(昭和5)年11月28日に津屋崎町宮司付近約20kmの工事施行認可を得たものの経営の悪化によって九州水力電力に経営権を奪われてしまい中止しています。

 九州水力電気は1911年10月に福岡市内の路面電車の一部を開通させた博多電気軌道の親会社です。

 さらに旧経営陣が経理操作をして債務をごまかしていたことが発覚し、延長どころの騒ぎではなくなってしまいます。
 そして1931(昭和6)年12月に廃止が決定しました。1933(昭和8)年7月3日に起業廃止の上、門司~黒崎~博多のすべての特許状を返納しています。 そして、1933(昭和8)年8月7日に特許は失効したようです(参照参照)。

 西鉄貝塚線(宮地岳線)の前身である博多湾鉄道汽船との関係は分かりませんが、宮司付近から着工しようとしていたのをみると、多少は協力関係があったのかもしれません。

 津屋崎町誌には、現在の津屋崎ショッピングセンターあたりに高架の宮司駅が作られる予定だったと書かれていました。


 で、これまた以前書いたように、このための土地9万2446坪が九州電気軌道の子会社である九州土地興業から博多湾鉄道汽船に1937(昭和12)年5月譲渡されたとの事です。
 で、福岡と門司を結ぶ福門連絡鉄道をぶち上げたとの話ですが、開戦によって撃沈したのだそうです(参照参照参照)。

 結局は1942(昭和17)年9月に博多湾鉄道汽船自体が消滅してしまうわけですが(参照)。

 こうして考えると、その時香椎線が売れていれば福岡と飯塚を結ぶ線路が戦前にできたわけですし、ひょっとしたら改良して直方行きの鉄道も残っていたかもしれません。
 不正手形がばれていなければ、西鉄は福岡と北九州を結んでいたのかもしれません。
 まあしかしできていてもやばかったんでしょうかね。

<当時の宮田駅の跡>

 で、当時の鞍手軌道宮田駅の跡がJR九州バス宮田町駅なのだそうです(参照)。
関連記事
スポンサーサイト

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ にほんブログ村 政治ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログへ

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://wantetsu.blog61.fc2.com/tb.php/826-2e508d6c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



当ブログはリンクフリーです。
ただし、匿名掲示板からのリンクは管理者であろうとも禁止します。
不適当だと判断したコメント・トラックバックは掲載しません。
情報の正確性には常に留意しておりますが、その検証能力には限りがあります。
このサイトにより生じたいかなる損害においても責任は負いかねますのでご了承ください。