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Author:therapie
 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
 筆者転居のため、最近は福岡市内の情報をメインに書いています。
 自分の興味が向いたものを、自分勝手に調査しています。
 今のところ、基本的に毎週日曜日に更新しています。
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イエスの方舟会堂(古賀市)
 寝かしているうちにいよいよ選挙が近づいてきました。
 先日福岡市南区高宮の交差点で信号待ちをしていると、幸福実現党の車が通っていきました。
 最近多いよなぁと思っていると、反対側から別の車が・・・。

 25日に立党された「幸福実現党」は27日、次期衆院選第1次候補17人を公表し、「金田一少年の事件簿」などでお馴染みの漫画家・さとうふみや(43)さんも出馬することを明らかにした。
 さとうさんは、麻生首相の選挙区である福岡8区から出馬予定。選挙中は、顔写真を公開しない予定で、ポスターなどにはさとうさんが手掛けたキャラクターなどが掲載されるという。
 今回発表された17人の出馬者の中には、ほかに元・ザ・ブルーハーツの河口純之助(48)さんなどの名前も含まれており、多数の有名人が出馬する予定。
 さとうさんは、91年にデビューした女性漫画家。宗教法人「幸福の科学」の熱心な信者として知られ、同宗教法人が発行している無料の冊子に漫画を連載していた。
(金田一少年の事件簿」の漫画家・さとうふみやさん、幸福実現党から出馬へ・2009年05月28日)

 幸福実現党幸福の科学が立党した政党だと報じられています(参照)。
 幸福の科学といえば、古賀支部が国道3号線バイパス沿いにありますね。
 古賀には他にも、筑紫野古賀線沿いには天理教西海大教会があり、古賀交番裏の西鉄宮地岳線跡地沿線上には金光教古賀教会。国道495号線沿いの安売り王ルミエール古賀店筋向いには創価学会古賀文化会館があります。国道3号線の古賀インターチェンジ入口近くには立正佼成会福岡教会古賀道場もありましたね。
 調べてみると、カトリック古賀教会の近くには救世主教古賀教会があるそうで、福岡東医療センター近くのコンビニ2階にあったエホバの証人の王国会館は移転してエホバの証人の古賀市花鶴・中央・千鳥会衆になっているそうです。
 そんな宗教都市(?)古賀市には、珍しい宗教団体も本拠を構えているようです。

 千石剛賢という人がいました。

1923年7月12日、兵庫県生まれ。

聖書を研究するグループに参加した後、1960年(37歳)、東京で「極東キリスト集会」結成。1975年に「イエスの方舟」と改称。

「イエスの方舟」には人間関係・家族関係・人生に悩みを持つ若い女性が集まり、メンバは20人を超えるようになった。

信者達は各家を出、共同生活を送っていたため、家族とのトラブルが増え、社会問題にまでなった。

そこで、1978年(55歳)の5月頃から約2年間、信者の家族を避けるために、千石剛賢と女性10人を含む信者25人が集団失踪。東京から福岡まで信者らと全国を転々とした。

この頃から、マスコミは教祖の千石剛賢を「千石イエス」と名付け、「現代の神隠し」と言い騒いだ。因みに、千石剛賢自身が「千石イエス」を名乗ったことは無く、信者からは「おっちゃん」で通っていた。

1979年12月、『婦人公論』に信者の母親の手記「千石イエスよ、娘を返せ」が掲載。警察も、家出人捜索のほか名誉棄損の容疑で千石剛賢の逮捕状を取り、公開捜査に乗り切る。

1980年(57歳)の3月、熱海で発見され、福岡に滞在する信者8人が警察に保護、千石イエスは逮捕された。しかし、信者らが聖書を勉強するため自らの意思で参加したと説明し、不起訴処分となった。

以降は、福岡市にて、スナッククラブ「シオンの娘」で聖書の研究会を開く傍ら、一般市民の身の上相談に応じるなどの活動をしていた。また、1993年からは、古賀市に建てた教会兼自宅『イエスの方舟会堂』で信者との共同生活を続けていた。

2001年12月11日死亡。死亡届は12日提出。享年78歳。死因不明。
(参照)

 死亡記事はこちら。

 「千石イエス」と呼ばれた千石剛賢氏が死去。78歳。自宅は福岡県古賀市今の庄1の7。11日に死去、12日に養子から死亡届が出されたという。
(参照)


 「…聖書研究を核とした信仰グループ『イエスの方舟(はこぶね)』主宰で、女性会員と集団失跡などした千石剛賢(せんごく・たけよし)さんの死亡届が12日、居住地の福岡県古賀市役所に出されていた。78歳だった。死因などは不明。兵庫県生まれ。1952年から大阪の聖書研究会へ通い始め、60年に東京で極東キリスト集会を開き、信者と共同生活を始めた。75年に『イエスの方舟』と改称。若い女性会員の家出が続き、78年に『娘を返せ』と迫る家族から逃れるように東京を離れた。この逃亡生活がマスコミで話題になり、千石イエスと称されるようになり、信者からは『おっちゃん』と呼ばれた。千石さんは名誉棄損容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。福岡市に布教の拠点を移し、博多区中洲で集会所を兼ねたクラブ『シオンの娘』を営業。93年秋から古賀市に建てた『イエスの方舟会堂』で共同生活を続けていた…」
(参照)


<訃報>千石剛賢さん78歳=イエスの方舟主宰

 聖書研究を核とした信仰グループ「イエスの方舟(はこぶね)」の主宰者、千石剛賢(せんごく・たけよし)さんが11日、福岡市中央区の病院で亡くなった。78歳だった。死因、告別式の日程などは遺族らの意向で明らかにされていない。
 兵庫県生まれ。1952年から大阪の聖書研究会へ通い始め、60年に東京で極東キリスト集会を主宰、会員と共同生活を始めた。
75年に「イエスの方舟」と改称。若い女性会員の家出が続いたことから、78年に「娘を返せ」と迫る家族から逃れるように東京を離れた。集団で各地を転々とする生活は2年2カ月にわたり、80年には週刊誌「サンデー毎日」が同行ルポを掲載。マスコミでは千石イエスと称された。
 千石さんは名誉棄損容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。80年12月、福岡市に布教の拠点を移し、博多区中洲で集会所を兼ねたクラブ「シオンの娘」を開業。93年秋から古賀市に建てた「イエスの方舟会堂」で共同生活を続けていた。
(毎日新聞)
(参照)


 昭和事件史の1ページを飾った「イエスの方舟」事件。その主宰者で、千石イエスと呼ばれた千石剛賢(たけよし)氏=写真左=が11日、78歳で死去した。20数人のメンバーを率い、福岡の地に落ちついてから20年余。晩年は同地の繁華街・中洲でクラブを経営しながら、細々と布教活動する生活だった。千石氏は約30人の信者らと共同生活を営んでいたが、大黒柱の“オッチャン”亡き後、信者らはどこへ漂流していくのか。

 福岡市中心部から北東へ約20キロ。古賀市のJR古賀駅に近い閑静な住宅街に、千石氏の自宅がある。平成5年から住み、教会やローヤルゼリーなどの健康食品を販売する「シオンカンパニー」も設けていた。
 暖房機の室外機が動き、人の気配はするのだが、呼び鈴を鳴らしても応答はない。近所の人は、「千石さんと娘さんら数人が住み、ほかに信者さんのような人たちが出入りしていますが、ふだんから、中にいるのかいないのか分からない。近所に迷惑をかけたり、トラブルになったことはないのですが…」という。
 住民の多くが似たような反応で、千石氏の死去についても「新聞で知った」と口を揃えた。
 一方、中洲のクラブ「シオンの娘」=同右=も、千石氏が死去した11日ごろから閉まったまま。ここでも特にトラブルはなく、交流も少なかった。
 近くの店主は、「亡くなる数日前に店の前で会い、『寒くなったね』などと言葉を交わしたが、特に変わった様子はなく元気そうだった」と振り返った。
 店は繁盛していた。訪れたことのある地方議員によると、店内では宗教の話はなく、日本舞踊などのショーが見られた。普通のクラブと違うのは、ホステスが隣に座ったり、同伴やアフターも一切ないこと。セット料金だけで8000円と高いせいか、客は弁護士や医者が多かったという。
 「シオンの娘」が入るビルでは約10軒が営業。「『シオンの娘』も店子(たなこ)だったが、2年前に持ち主が競売にかけ、千石さんが買って家主になった。2億数千万円かかったそうで、お金はあったんですね」(飲食店関係者)
 千石氏自身はここ数年、心臓などの持病を抱えていたが、元気そうなそぶりも見せていた。
 「店には夕方ごろによく出てきて、すぐ帰っていた。車好きで、10数年前には当時人気だったソアラに乗っていたし、最近は外車に乗っているのも見た。でも服装はむとんちゃくで、いつもジャージー姿だった」(別の飲食店関係者)
 月に1度、福岡市の中心部などで開く集会にも姿を見せた。今春には「シオンの娘」のビル内に相談室を開設し、毎週日曜には集会を開くなど、地道な布教活動は続けていた。
 現在も千石氏と行動を共にしていたのは、実の娘3人と養女3人を含む約30人。女性たちはクラブで、数人いる男性たちは建築関係の仕事で働き、千石氏宅や福岡市やその周辺に数カ所の居を構え、集団生活を行っていたとされる。
 千石氏に心酔しきっていたメンバー。グループの行く末はどうなるのか。
 宗教評論家の丸山照雄さんは、「今までと同じような生活を送っていくのだろうが、求心力のある人を失った場合、集団内にトラブルが起きた際に収拾がつかなくなることがよくある。次のリーダーはいるだろうが、カリスマ性をもった人のあとだけに、しっかりしていないと難しいだろう」と話している。

 【イエスの方舟事件】千石剛賢氏が昭和50年ごろ東京で始めた「イエスの方舟」に若い女性たちが次々と入信し、共同生活を開始。53年、「娘を返せ」と迫る家族らから逃れるように、総勢26人で各地を転々。警察も捜査を始め、名誉棄損容疑で千石氏の逮捕状を取ったが、逮捕はせず書類送検。千石氏は、不起訴処分となった。千石氏らは55年、福岡に拠点を移し、活動を続けている。
(千石イエス死亡でシオンの娘はどこへ?トラブルもなくクラブは繁盛・2001年12月17日付ZAKZAK・参照)

 この「イエスの方舟」。「全く正統なキリスト教ではない」そうです。
 生長の家の要素が多いそうで、「キリスト教の正統とはあれこれそぐわない面があり、形式上は間違いなく異端とされた」ようです(参照)。

 言わば「カルト」ですが、その割にマスメディアの取り上げ方もいささか好意的です。
 一度は誤解して叩いてしまった負い目なのか・・・。

 ひょっとして、他に広がりをもたせようという動きが皆無だからでしょうか。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、オウム真理教だか創価学会だかの政治活動をかつては批判していたとの話をチラッと聞きましたが、確かに宗教団体の政治活動は難しい問題をはらんでいます。
 宗教家には社会を変えたいという動機がある人もいるでしょう。政治活動を行えば、宗教と政治の2面から社会を変えることができます。

 しかし、宗教というのは結構強制的。
 信者の皆さんは自分が良いと思って入っているのでしょうから人に勧めたくなるのでしょう。
 気持ちはわかりますが、でもやはりうるさく感じる人が多いでしょう。

 政治を始めると、今まで以上にうるさく感じる人が増えます。

 また、選挙の結果というのはシビアです。
 自分たちがどのくらい支持されているのかが数字で冷酷に示されています。
 その数字を、自分たちが支持されていない証だと感じてしまえば、かなりの阻害感を感じるのではないでしょうか。

 オウム真理教がテロ集団としか思えない団体になってしまったのは、政治活動での挫折が大きな要因だったとする人もいるようですし。

 ただ、創価学会にとって選挙は、団結を確認する儀式なのかなという感じがします。
 みんなで何かを成し遂げることで、団結心は強まります。
 組織の引き締めにはいい方法なのかもしれません。
 幸福の科学はそこに気がついたんでしょうかね。

 口開けのビールの小瓶を飲み干したころ、もみしだかれた足の裏から生ぬるい気だるさが這(は)いあがり、仕事で高ぶっていた神経はなおさら弛緩(しかん)させられた。カウンター席に腰かけたとたん、靴を脱いだ足元に埋めこまれたマッサージ器を作動させてくれたのだ。


 二十数人が座れる馬蹄(ばてい)形のカウンターは常連客でほぼ満席である。内側に姿勢よく座って酔客の話し相手になっている十数人の女たちは、けっして視線をそらさず、微笑を絶やさず、うわの空の受け答えをしない。

 かつて宗教学者の島田裕巳さんが、その光景から、寮生活で礼儀作法をウエートレスに厳しくしつけたことで知られた、いまはなき東京の名喫茶「談話室滝沢」を連想していたことが納得できる。深紅のじゅうたんが敷きつめられて、時代がかったその空間には、人を慰撫(いぶ)する奇妙なバイブレーションが満ちあふれているようだった。

 クラブ「シオンの娘」が福岡市の中洲で開店してから、四半世紀が過ぎた。密集した雑居ビルの送風口から吐き出される臭気が、欲望のため息のようによどんだ歓楽街の片隅に埋没してしまいそうな店構えだが、そこが「イエスの方舟(はこぶね)」の店だと知る常連客をいまだにひきつけてやまないようだ。

 千石剛賢(せんごく・たけよし)に率いられたキリスト教信仰集団の「イエスの方舟」は70年代後半まで、東京で26人の会員がつましく共同生活しながら聖書研究に没頭していた。ところが、悲嘆にくれた母親の手記が「方舟」を不穏なスキャンダルの渦中に投げこんだのだった。

 79年の暮れ、「千石イエスよ、わが娘を返せ」と題して「婦人公論」に掲載されたその手記は、こつぜんと失踪(しっそう)した娘が「方舟」に監禁されており、その非道を糾弾された「方舟」は、かどわかした娘たちを道連れにして全国を逃亡している、と訴えかけていた。

 これが発端となり、消息をかき消していた「方舟」を、淫(みだ)らなハーレムや邪教集団などと非難するマスメディアのバッシング禍が襲った。災厄から逃れるように、「方舟」は福岡にたどり着くまでの2年余り、転々と流浪していたが、結局、「サンデー毎日」のスクープでついに真相が語られ、集団妄想と化した誤解が解けたのだった。

 つまり、悩める娘たちは千石の難色を押し切って、親の了解なく「方舟」に居つき、俗世にはありえないはずの安息を手放そうとしなかったのだ。

 福岡に住み着いた会員が働き、日々の糧を得る術(すべ)とした「シオンの娘」は健在だが、「おっちゃん」と慕われた千石は01年に78歳で他界した。カリスマの引力を失った「方舟」は、ふたたび漂流しかけていないのか。しかし、三女の恵さんはこう語るのだ。

 「肉体は滅びても、おっちゃんは生き続けています。私たちを置き去りにせず、より一層、一体になっている」

 復活譚(たん)にしばし聴き入ってみた。

差別なきユートピアだった

 いまわの際の床にあって、千石剛賢は口伝えに三つの遺言を会員たちに託していたという。

 「仲良くすること」「健康に気をつけること」「聖書の研究を続けること」

 俗人には拍子抜けしそうなメッセージだが、「イエスの方舟」の会員たちにとっては深遠な箴言(しんげん)だったのだそうだ。とりわけ、「仲良くせよ」という戒めには格別の重みがあるらしい。

 「方舟」がまだ、「極東キリスト集会」と称していた63年に、東京で最初に生活も共にする会員となった大沢捷子さんは、高校生のころから通った集会で「他人のない生活」という未知の体験に胸を打たれたのだという。その甘美な打撃は、ことあるごとに「仲良くしなさい。それがいちばん大事なことだ」と千石に諭されて研ぎ澄まされていったというのだが、「他人がない」とは、どういう意味なのか。

♪  ♪  ♪

 大阪から上京した3家族が寄り集まった会員たちは当時、東京・国分寺で3LDKの旧米軍ハウスを借りて暮らしていた。聖書の聖句を読み解く集会や日曜学校を開きながら、多摩一帯の家々を一軒ずつ訪ねて注文を取る刃物研ぎで細々と生活資金を稼いでいた。

 千石はそれぞれの家族の子どもたちが血縁で差別されないよう、実の子に「お父さん」と呼ばせなかった。だから「おっちゃん」なのである。部外者には「責任者」と紹介された。

 大沢さんにとっても「千石さん」ではなく「私のおっちゃん」だった。

 「誰がおっちゃんの実の子で誰が奥さんなのかも分かりませんでした。いうなれば、区別はあるが差別のない世界。私が悩んでいれば、おっちゃんは実の子を放ったらかして、夜を徹してでも、とことん話を聴いてくれた」

 東京脱出の前年、高卒後に就職した銀行を辞めて、「方舟」の共同生活に加わった長戸正子さんは、家庭や仕事上の人間関係に耐えがたいあつれきが生じて逃避したわけではないという。

 「家でも勤め先でも、見かけは平穏を取りつくろっていながら、えもいわれぬ疎外感に苛(さいな)まれたりしましたが、『方舟』にはそんな不安がみじんもなかった。赤の他人の娘である私が分け隔てなく、おっちゃんの実の子のように大切に思われ、心配してもらえた。まさにここがユートピアなのか、と強烈に目を見開かせてくれました」

 生前の発言や著書を読むと、千石の教えの根底には「汝(なんじ)の隣人を汝自身の如(ごと)く愛すべし」という聖句がある。それを厳格に敷衍(ふえん)して、親子、兄弟姉妹の絆(きずな)などというものは幻想である、真実、一体化する人間関係に眼(め)をつけよ、と唱えていた。それが誤解の火種になって、ひそかに家族崩壊の予兆におののきつつあった、一億総中流化した日本人の集団被害妄想を途方もなく膨張させてしまったようだ。

♪  ♪  ♪

 「サンデー毎日」は、会員の親たちの糾弾を逃れて78年から2年余りも逃避行を続けていた「方舟」と極秘に接触してかくまい、千石の弁明や、誘拐・監禁されたといわれていた会員の反論をスクープにした。当時、サンデー毎日記者で「方舟」を担当していたノンフィクション作家の山本茂さん(70)は、千石の印象を忍耐強い医師のようだったと言う。

 「彼のリーダーシップは凸型ではなく凹型。自我の悩みを矢継ぎ早に問いかける会員たちと粘り強く対話を続けながら、『それは、お前の感受性がええちゅうことや』と悩みそのものを肯定して、ほめた。よい意味で、天性の『人たらし』の磁場を発していた」

 宗教団体ではない「方舟」は合議制で運営され、金銭などは共有財産で、「シオンの娘」のほか、男性会員が工務店を経営して生計を支えている。三女の恵さんによると、漂流時代の26人の会員はほとんど脱落していない。福岡に住み着いた後で加わった会員も3人いるが、騒動のころは子どもだった世代だという。夫婦も6組いる。

♪  ♪  ♪

 「主幹」の肩書で、いま「方舟」の代表者となっているのは、千石の妻だったまさ子さん(84)だ。共同生活の世話役に黙々と徹していたが、千石亡き後、集会を主宰し、「シオンの娘」で客をもてなしている。不思議なことに、会員や常連客は彼女に「おっちゃん」と呼びかけるのである。

 「なぜ、『寿命』と書くのか、ご存じですか。めでたい命へ転換するからです。たとえ死んでも、おっちゃんの命の実質は、とこしえにここにある。それを、私たちは復活の事実といいます。だから、心配いらないのです」

 「シオンの娘」の名物の歌と踊りのショーが始まると、「おっちゃん」はやおらステージに立ち、演歌の大音量のメロディーに負けじと、和太鼓を高らかに打ち鳴らすのだった。

文・保科龍朗、写真・岩崎央



〈ふたり〉

 兵庫県加西市の豪農の家に生まれた千石剛賢(写真は93年撮影)は51年に刃物工場の経営に失敗、レストランの支配人の職にありついた神戸でキリスト教会に通い始めた。翌年、最初の妻と離婚し、まさ子さんと再婚すると、大阪で聖書研究会に夫婦で参加するようになった。3家族を中心とした研究会の会員10人が60年に上京、東京都国分寺市に廃材で小屋を建てて「極東キリスト集会」と名乗ったのが「イエスの方舟」の母体である。

 まさ子さんとは後に形式的に離婚し、古参会員の娘らを次々と養女にしたが、会員との関係を対等にする方便だったという。千石の没後は、まさ子さんが代表者の主幹に、三女の恵さんと養子の雄太さんが副主幹になり、「方舟」をまとめている。
(千石剛賢とまさ子・2007年11月17日付朝日新聞)

 宗教団体が飲み屋をやっていて、しかもそこで勧誘されることはないというのが驚きです。
 そういう活動をしないからこそ受け入れられるのかなぁ。

 てか、古賀にいるのを最近まで知りませんでしたしね。

 でも、やはりこれってどうなのかとは思います。

 キリスト教との出会いも、そんな頃だった。偶然、通りかかった教会に立ち寄ったのがきっかけだ。「教会員がみなにこにこしていたから」と千石はいう。同時に、彼は姉が通っていた「生長の家」の集会へも顔を出していた。そういう日々を経て彼が思いついたことは、キリスト教と「生長の家」を二つ合わせた宗教だった。彼は博多に向かい、とりあえず自分の考えを道行く人の何人かに話してみた。面白いように人が集まってきた。そこで部屋を借り、やがて博多市の施設を借りるに至る。
「宗教というのは、最初の核を作るのが難しいだけで、あとはだーっと核分裂を起こすんです」
 この時、彼は信者から金をとらなかったという。
「小さな金を集めることよりも、まず大きくしようという野心が勝っていたんですね」
 気がつくと、三百人以上の人々が集まってきたのである。
「気持ち悪くなったんですねえ。嘘だから。ありもしない神をあるように言ったり、嘘をさかんに言っているのに、人が集まってくる。恐くなったんです、急に」
 ひとまず小倉に逃げるのだが、信者がかぎつけてきて、また集まり始めた。そこで九州を離れ、彼は大阪に向かう。その気にさせた信者を放り出すのはいかにも無責任ではないか。そう彼に訊ねてみると、こう答えた。
「騙されて貴重な人生の時間を費やすよりも、騙す人間が消滅したほうが、その人たちのためになると考えるようになったんです」
 現在でも彼の話術は巧みである。加えて目が優しいのだ。威圧感はまったくない。若いころから人を惹きつける能力は人並みはずれて長けていたに違いない。
「あのころ私がやっていたことは背信行為なんです。それを臆面もなくやっていることの自責の念があった。嘘はあかんのに、隣人に虚妄の証をたてている自分がそこにはいた。それは自我の延長でしかなかったんです。実際、自分中心にしゃべっていた。何をしゃべっていたかは覚えていないんです。いまでいうと、自己開発セミナーみたいなものですね。人の気持ちに逆らわないように、人が喜ぶようなことばかり話していたと思います」
 彼は当時を振り返りながら、宗教についてこう語る。
「宗教は詐欺と言っていいでしょう。教祖は、ばれない嘘をつかないと駄目なんです。ばれない嘘をどこまで巧みにつくかです。蛇の道はヘビで、私にはわかるんですね。オウム真理教はいけません。麻原は嘘ばかり、しかも嘘が下手なんです。教祖の資格としてはまずいですねえ」

 しかし、一方で「方舟」は心地いい世界である。
「新しい人間関係を築きたくない」と紀葉子は言う。
たしかに、価値観の同じ人々が集まっているのだ。孤独を感じなくて済む。ストレスもない。悩みがあればすぐに答えてくれる「父」がいる。
 だが、ここに来るまでに、彼女たちは恋愛に興味を持たなかったのだろうか。セックスについてはどうだろう。こういった質問をしつこく投げかけたが、答は返ってこなかった。
 実は八〇年代、ある雑誌の対談で、千石は「女性会員が器量の衰えを嘆いている」と話しているのだ。おそらく、世の常の通り、そんなことを考えた時期もあったに違いない。しかし、それ以降も、彼女たちは「イエスの方舟」で日々をすごしてきた。二十年もの長きにわたって――。
 いまでも結婚に興味がないのか。千石と同じ価値観を持つ男性と巡り合ったらどうするのか、三女の恵に聞いてみた。
「オッチャンのような男性に巡り合えば考えますよ。でも、そんな人、いますか」
 しかし、いずれはその「父」もいなくなる日が来る。その時、残された者たちはどうするのか。私は千石に訊ねた。
「私は一本の歯みたいなもんです。一本歯が抜けただけで、人は死にはしない。私のようにやったらいいんです。聖書はなくなりませんからね。『イエスの方舟』の活動はもっと活発になるんじゃないですか」
 扉を開けて店の外に出ると、あたりは夜の街だった。屋台の酔客のものだろう、時折、那珂川の歩言う額から笑い声が高らかに響く。
「昨日と同じ今日」「今日と同じ明日」――。
 私はそんなことを頭の片隅でおぼろげに思う。振り向くと、一瞬の静寂の中に「シオンの娘」の藍色のネオンサインが滲んでみえた。
(参照)

 よく分かりませんが、居心地のいい擬似家族みたいなものなんですかね。
 意地悪な言い方をすれば、自分だけ純粋でありたいと願い、社会から逃避しているだけのような感じもします。
 でも、社会の中に生きているのはある意味すばらしいと思いますが、何となく矛盾も感じます。

 この団体を見た後で創価学会と幸福の科学を見ると、両者は結構似ています。
 両者とも、良くも悪くも現実主義的で現世利益を謳って勧誘しています。
 心の平穏ではなく、人生の成功のためにと誘われます。
 で、求められているのは行動です。
 お経の名前を唱えるとか、総裁の本を読むとか。
 とても分かりやすく、現代的です。

 公明党と幸福実現党の政策も一部似ている気がします。
 公明党は一度みんなからお金を集めて広く浅く配分するという政策。
 幸福実現党は最初からみんなからお金を集めないという政策。

 何となく面白いです。

 さて、このシオンの娘というお店。電話帳にはまだ載っていました。
 住所は福岡市博多区中洲4-1-28だそうです(参照) 。

【2009年8月13日追記】

 昨日12日、幸福実現党の全面徹底が決まったそうです。
 明日14日に発表するとか(参照)。
 正直どうかしたんじゃないかと思っていましたが、大丈夫だったようです。

 やはり創価学会くらいないと厳しそうですし、創価学会のように地方議会から固めていかないとダメなんじゃないかなぁと思いますもんね。

【2009年9月10日追記】

 と思ったら、一部だけ撤退してあとは出たようです。
 ついでに、選挙が終わったのでこの記事を再度公開します。
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