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筑紫(那津)官家
 職場で新型ウィルス対策のため、手指消毒剤を導入することになりました。
 ところが調べてみると、手指消毒剤に多く使われている「塩化ベンザルコニウム」はインフルエンザウィルスには弱い効果しかないとのこと。
 有効なのは、O157対策でお世話になった「次亜塩素酸ナトリウム」、「イソプロパノール」、「消毒用エタノール」等であるとのこと。
 結構難しいもんです。

 さて、市制施行120周年記念にかこつけて福岡市内の道路の名称を10路線ほど募集していました。
 そのうち、うちの近所の通りが「みやけ通り」に決まりました(参照参照)。
 この道は、福岡市南区大橋の大橋交差点から南区三宅を通って那珂川町との境まで通じている道路です。
 この三宅というのが「筑紫宮家(つくしのみやけ)」から来たものだそうで、「筑紫宮家」というのは以下のようなものだったのだそうです。

6世紀はじめ、北部九州の豪族磐井(いわい)の反乱をおさえた大和朝廷が、筑紫近辺の支配を強化するために設けた、一種の役所である。現在の大橋付近にあたる。当時の遺跡、遺物はわからないが、内部統一や対外交渉に、大変重要な拠点であった。
(参照)


 大和朝廷は筑紫国の首長としてに筑紫国造(ちくしのくにのみやつこ)を置いた。福岡市の香椎宮、住吉神社等における神功皇后にまつわる伝説は、大和朝廷が朝鮮や中国と関わるうえで福岡が北九州における重要な土地であったことを示している。六世紀に入って筑紫国造だった磐井が反乱をおこしたが、大和朝廷は反乱鎮圧後、役所や倉庫からなる総督府である筑紫官家(つくしのみやけ、場所=福岡市南区三宅)を充実させた。この頃には福岡は、那の津と呼ばれていた。
(参照)

 そういえば、以前田渕遺跡を取り上げた際にも「みやけ」が出ていました。

528(継体22)年 筑紫国造磐井の反乱(朝鮮半島に出兵する大和政権に反旗)。磐井は敗走し豊前で死亡。息子の筑紫君葛子が糟屋(福岡市の郊外か)の屯倉(みやけ)を献上。(日本書紀)。
(参照)

 どちらも筑紫国造磐井絡みなのが面白いですね。

 で、筑紫宮家跡地に行ってみました。
 小学校の横にある小さな神社で、うっそうと茂った森に心癒されます。
 周囲も古い集落らしく、太古の昔から連綿と人が生活してきたのだろうなぁと感慨深い思いがしました。

 ところが、入口にある看板を読むと、遺構等は一切発見されていないという記述が・・・。

536(宣化元)年 那津(なのつ、現在の博多湾一帯)に非常に備え食料などを保管する筑紫官家(みやけ、博多区比恵遺跡辺りか)を造らせた。(日本書紀)。
(参照)

 つまり南区三宅にあったというのは単なる伝説に過ぎないようです・・・。

【2012年4月14日追記】

 官家ってとりあえず古墳時代の大和朝廷の地方出先機関なんですよね(参照)。
 そんな昔から支店経済かよ(^_^;)

 で、「比恵遺跡」に新たな展開が・・・。

 福岡市は11日、博多区博多駅南の国指定史跡「比恵(ひえ)遺跡」の隣接地で、6世紀後半ごろの倉庫とみられる建物跡や柵の跡を発見したことを明らかにした。同遺跡では、大和政権の食料備蓄基地「那津官家(なのつのみやけ)」跡とされる倉庫群が確認されており、今回見つかった遺構も関連施設の可能性がある。官家の実態解明に向けた手掛かりとなりそうだ。
 遺構は、比恵遺跡から県道を挟んで約50メートル南西のマンション建設予定地から出土。建物跡は縦約6メートル、横約5メートル、柱穴は直径50-65センチ。倉庫に多い建物内部にも柱を立てる総柱建物跡で、建物跡に沿って三重の柵の列も約10メートル確認された。南側隣接地でも2006年に建物跡2棟と三重の柵が見つかっており、一体の倉庫群だったとみられる。
 00年までの比恵遺跡の調査では、三重の柵に囲まれるような形で10棟の倉庫群を確認。今回の遺構も構造が似ているが、比恵遺跡の遺構より一回り大きく、柵の向きも異なるため、別の倉庫群と考えられるという。
 市埋蔵文化財調査課は「那津官家の研究の手掛かりとなる発見だ。類似する二つの倉庫群が併存していたのか、建て替えなどで別の時期に存在したのか、研究を進めたい」としている。
 同課は1月に発掘調査を開始。遺構が見つかったのはマンション駐車場用地だったが、設計を変更し保存することで開発業者と市側が合意した。

■那津官家(なのつのみやけ) 大和政権が非常時に備え、各地から集めた食料を備蓄するために設けられた外交軍事拠点で、大宰府政庁の前身と考えられている。日本書紀には、536年に那津の口(博多湾周辺)に官家を造らせたという内容の記述がある。那津官家の関連施設とみられる建物跡が見つかった比恵遺跡(約4350平方メートル)は2001年、国史跡に指定された。
(福岡市・比恵遺跡隣も倉庫群か 那津官家解明へ光・2012年4月12日付 西日本新聞朝刊)

 いまだに行ってませんが(行けよ)、この調子でどんどん史跡が広がると面白い。住めなくなるけど。

 鹿部田渕遺跡は、結局史跡公園になっています(参照)。
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