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「元陸軍の小倉造兵廠の分場」
 古賀西小学校といえば2月5日に書いた旧陸軍造兵廠。
 ちょっと関連しそうな記事を見つけました。

 1954(昭和29)年4月15日木曜日に行われた第19回国会衆議院外務委員会第35号という議事録をお読みください。

 まずは当時の福岡県農地部開拓課長だった小田部善次郎さんの証言。

 私はこの問題に当初より関係いたしておりますので、現在までの経過の概略と、それから県として考えております結論的なことを申し上げたいと思います。
 この古賀演習場の位置は、この地図に示しております通りでございまして、福岡県糟屋郡古賀町並びに新宮村となつております。
 これは九州本線の門司がここになりますが、その門司から九州本線がこう走つております。
 これが福岡になるのですが、そのちようど中間に位しております。
 本地区は福岡市から大体東北四里半くらいの地点にございまして、地区内を西鉄の電車がずつと走つております。
 この地区内に花見駅、それから新古賀駅、新宮駅という三つの西鉄の電車の停留場を持つておる地帯であります。
 この面積は、町歩にいたしますと、三百五十七町歩でございまして、その内訳を申しますと、耕地が六十四町歩、それからその他の宅地とか山林原野が二百九十三町歩になつております。
 ここに色わけをしておりますが、この茶色に染めておりますところが、大体海岸の松のはえておる地帯でございます。
 それからここに緑色に着色いたしております地帯が、耕地になつております。
 ここには関係しております戸数が四百五十二戸でございまして、必ずしも地区内だけではありませんが、四百五十二戸の人がこの接収に関係しております。
 その内訳は、一般の農家が百二戸、それから開拓者といたしまして九十九戸、その他一般の住民の方々が二百五十一戸になつております。
 計四百五十二戸となつております。
 この地区内には、ここに大体点でずつと示しておりますが、いろいろな施設がございまして、おもなるものを申し上げますと、ただいま申し上げました中央を西鉄の電車が通つておりまして、そのほか消防ポンプ格納庫、学校、会社工場、これは八社あります。
 それからそのほか農産物の出荷所とか、神社、公会堂、変電所、それからゴルフ場、海水浴場とか、この地帯が海であります関係上、地びき網のひき場が二箇所ございます。
 そのほかセメント瓦の工場が八社ございますが、その砂をとるのをこの付近一帯でやつておるわけであります。
 そういうふうないろいろな施設が中に散在いたしております。
 県といたしましては、この問題を当初知りましたのは、昭和二十七年の六月でございまして、調達庁からの文書をもつて承知いたしたのであります。
 このPDは、昭和二十六年、その前年に出されておりますPDでありまして、そのPDの内容は、昭和二十一年にさかのぼつたPDの内容であります。
 これを一応受領いたしましたので、知事といたしましては、ただちに総理、大蔵、外務、農林各大臣並びに特別調達庁、当時の予備隊、そういう方面に対しまして次のような要望書を提出いたしております。
 全面的にこの地域を返していただきたい、こういうことが第一の要望でございますが、どうしてもこれが返されないならば、県といたしましては、この川の以西の地区にしていただきたい。
 この以西の地区は、ごらんの通りこれは松原でありますが、その大部分は国有林になつております。
 赤で斜線を引いてありますのは、国有林であります。そういう地帯にとどめてもらいたい、こういうことを要求いたしたわけであります。
 これが理由といたしましては、この地区が現在まで駐留軍によつて正式に使用されたことは一回あります。
 その一回も、ただ兵隊が通信の電線をからいまして、十数人のものが松原の中をうろうろしたというただ一回の事実でございますので、使用していないものを接収する必要はないのじやないかということが第一の理由でございます。
 第二には、さつき申しました通り、PDが昭和二十一年十月に遡及して、しかもずつと四、五年遅れて出されている。
 しかもそのPDは、この地区内にここに元陸軍の小倉造兵廠の分場があつたわけです。
 約六千坪の土地でありますが、わずかこの地帯が旧陸軍用地であつたということで、どういう間違いか知りませんが、いわゆる軍用財産と誤認されまして、この地区一帯をPDにひつかけられている、こういうふうな実情でございましたので、そういう誤認されたものを解除してもらうのは当然じやないか、こういうふうな理由が第二でございます。
 それから旧軍用地として一応PDが出されております関係上、接収は事実上昭和二十一年からなされておりますが、これに対して補償の関係は全然考慮されていない。
 こういうふうな事実に基きてまして、PDは無効であるということを県側としては主張いたしております。そのほか、先刻申し上げました通り、中央に電車が通つているとか、いろいろの施設がある。特にこの地帯には、地区内ではございませんが、ここに国立療養所が三つあるのでございます。一つは国立福寿園、一つは国立清光園、一つは国立病院福岡療養所という結核の療養所がありまして、これは病後のアフターケアとか、この松原の風光明媚な地帯を対象にして設立された病院でございますので、こういうところを演習のために踏みにじられては困る、こういうふうなこともございます。そういう理由からしてどうしても解除方をお願いしたのであります。その後昭和二十八年に至りまして、非公式の文書ではありましたが、農林省農地局から、次のような条件で接収するが、承知しないかというふうな文書が届きました。これによりますと、今までは歩兵及び車両の訓練場ということでPDの内容が示されておつたのでありますが、新たにここを露営地とするということがうたわれたのであります。それでそういうことではここに家なんかをじやんじやん建てられては困るということと、それからその当時、すぐ近くに博多キヤンプがあるのでありますが、その博多キャンプの方では福岡の調達局と相談いたしまして、実は博多キヤンプとしてこの地区内にいるのは非常に小面積でいいのだ。それでキヤンプの方からの要求によりましてここで測量いたしましたのは、このくらいの部分を博多キヤンプとしてはもらいたい、そのほかの土地はいらないのだというふうなことを、図面にも示しておりますし、そういうふうなことを実際博多キヤンプから出したのであります。そういうふうな関係もありましたので、農林省から二十八年八月に示されたものは、こういう地帯を当初は接収すると言つて来たものを、今度は、ここにこういう青い線でずつとチエツクしておりますが、これより海岸線をもらいたい、こういうことでございます。従つて、おもなる住家の密集しております地帯とか、それから耕地の大部分、そういうものは一応除かれましたが、なお漁業関係とか、あるいはいろいろの施設がこの中にまだずつと含まれているわけです。そういうふうな要求を二十八年に至りまして農林省の方から示されたのでありますが、その間日米合同委員会から三回現地調査があつております。なお当時におきましては、衆議院の外務委員長を初めといたしまして衆参両院から数回にわたつて調査もございましたし、また両院に対しまして請願書を提出したのでございます。その後、昨年の十一月でございますが、農林省、外務省の方から、もうこの案件も三箇年近くなるので、ひとつ最後の県の腹を出してみい、こういうふうなことでございましたので、最後の県の案といたしましては、花鶴川以西の地区で、漁業、採砂、農業に支障のない範囲をもつて演習場としてもらいたい。その具体的な範囲はこういう地帯でございます。但しそれには条件を付しまして、福岡市のここに当時一一八陸軍病院と申しておりました進駐軍の病院がございますが、それが移転する場合には、この地帯に建てられたらどうかということが第一の条件、第二には、ここの地帯が国有林になつております。国有林はごらんの通り、ここだけが国有林でありまして、ほかには大した国有林もありませんし、こちらの方はほとんど全部民有林であります。ここに国有林が二町幾らかあります。それからこつちの方には百二十町ばかりの国有林がある。こういうような形態の国有林であるので、地元としては非常に迷惑をされるのだから、国内問題としては、ひとつこの国有林を払い下げられるということであれば、地元も納得されると思うので、ひとつぜひともこの国有林を払い下げていただきたい、こういう条件を付しまして、最後の県側の腹としております。
 この問題の発生以来、地元の町村代表は実に円満解決のためにいろいろ努力されたのでありますが、現在のところまで絶対反対を唱えておる人が多いのであります。それで今申しましたような状況でありますので、使用していないものはぜひとも返してもらいたいというのが、私の方の第一の希望でありますが、どうしてもいけなければ、最悪の状態においては、今言つたような条件をかなえてもらいたいというふうな考えを持つております。
 大体以上であります。
(参照)

 つまり、「元陸軍の小倉造兵廠の分場」があったと言っているわけです。

 次に福岡県古賀町(当時)助役の安武徳郎さんの証言。

 ではどうしてこの問題はいつから私どもは知つたのであるか、この問題が地元でどんなかつこうで起つたかということを申し上げてみますが、第一はどんな方法で大体接収されておるのかが、私どもは全然わからないところがあるのでございます。発端は、実は昭和二十七年七月二十七日に、西日本新聞、毎日新聞、夕刊フクニチなどの各新聞が、一斉に接収のことを掲載発表したのでございます。その中に、演習場として古賀町、新宮村と掲載してあります。なおその下に(国)、こういうふうにしてありましたが、よく注記を読んでみますと、(国)というのは国有地である。(公)というのは公有の所有物である。(私)は個人の所有物である。こういうふうに説明がしてあります。私どもは最初本町内の国有地はわずか六千坪ぐらいしかないのでございますから、あえて気にもしていなかつたのでございますが、その後聞くところによりますと、あの接収地の五十五万全部が国有地として接収されておることがわかつたのでございます。これを知りました関係者はもちろん、一般町民はまつたくはちの巣をつつついたようにごうごうとして立ち上つたのでございます。どうしておれの土地を与えたのだ、どうしておれの土地をやつたのだ、喧々ごうごう、毎日役場に押しかけて参つたのでございます。もちろん私ども町当局としましても、同時に知つたようなわけであります。ところでさつそく新宮村と話しまして、接収反対協議会を組織いたしまして、今日までこれを中心として強力に推進して参つたのでございます。それでどうして国有地となつておるのかということを調べてみますと、政府のある機関がこれを国有と誤認されて、接収しておることがわかつて来たのでございます。すなわち問題の原因は、終戦末期に陸軍の小倉造兵廠、さつき課長さんのお話があつたあの問題がありますが、これが大体大蔵省から昭和二十三年九月三十日と二十四年一月七日に、すでに民間に払下げになつて、その帳簿の整理が不行届きであつたというような原因を突きとめ得たのでございます。これなどは大体その責めに当つていただいている人が、役場にでも来られて土地台帳などをお調べになりますと、これが国のものであるのか、町村のものであるのか、あるいは私のものであるのかが、一目瞭然、簡単に判明するところを、漫然としたお気持で、国の所有として接収せられていることは、私ども地元としてはまつたくあきれてものが言えないというような感じがいたしております。もしこれが反対の立場で、国の土地を町の方で無断で使用しておつたならば、これは国の方からとてもきついおしかりを受けるのでございます。この点は従来福岡の調達局に何回も申し上げておりましたが、昭和二十八年九月七日に、これはこちらがまずかつたのだということをようやく認めてくれたのでございます。しかしその後当局は、何らこれを解決してくれようとはいたしておらないのでございます。こんなふうで、国の所有として取扱おれておりましたために、地元としては接収されていることは全然知らなかつたのでございます。また書面や口頭で一度も相談を受けてはいないので、私の方としてはごうも承諾したことはないのでございます。
(参照)

 ここでもやはり「終戦末期に陸軍の小倉造兵廠」と出ています。
 また、大蔵省(当時)から「昭和二十三年九月三十日と二十四年一月七日に、すでに民間に払下げになつて」いるとしています。

 次に福岡県新宮村(当時)村会議長鴛海実さんの証言。

そういう結果から、兵隊がたくさん入つて来て一番不便不利を感ずるのはむしろ新宮側であつて、そこの土地で演習をされるという場合に、言葉の通じない兵隊がたくさんおるときに――新宮は漁業で立つておる村でございます、漁民がその海岸地帯で地びき網で網を引上げることになつておりますが、岡で引きげるのは女がおもにやるのでありまして、男は船で沖の方におりますから、そうすると、その女がそういう言葉の通じない兵隊さんの中を平気で帰つて来られるのかどうかという問題になつて来ますと、やはりお互いに恐怖心というものはありますから、自然そういう場合には網などのことも非常に被害を受けるのは新宮村自体でありますので、これもさいぜん古賀の助役さんから申しまたように、PDを発せられたことが誤りであつて、旧小倉の六千坪という射撃場がなかつたならば、新宮村のみがこの演習の対象にはならない。つまりある機関が誤つて、これが敵性財産であつたというところの誤認のもとにこれが接収されたのでありますから、ちようど新宮のわれおれの住んでおるところは犠牲になつたような形になつておりますので、こういう際にぜひひとつ国家の犠牲者としてわれわれも甘んじて行くかわりにはこの国有林を、先方さんが撤収された後には払い下げていただきたいということで、この国有林の払下げの問題を外務省へ持ち出したわけであります。
(参照)

 ここで「旧小倉の六千坪という射撃場」と出ています。
 広さは6000坪。用途は射撃場だったわけです。

○熊谷委員 一週間に一回も使えばそういう必要があろうかと思うのですがね、繰返して何度も申し上げますように一年間に一ぺんも使つていない、ただ一回使つたのはたまたま九人か十人ぐらいの兵隊が来て、遊びがてら実弾を五千発も撃つたということだけです。そういう状態ならば、一番初めにお話がありましたように、必要がなければだんだんと話合いの上で解決しておるという言葉でありましたが、もう少ししつかりとおやりにならぬと、いろいろとめんどうな問題が発生するおそれがあると私は思うのであります。それでもう少ししつかりして全面的の接収解除を主張していただくと同時に、今後一年くらい使わなければもう解除をするというような気持でひとつ折衝していただきたいと思うのであります。
 第二点は、先ほど参考人からお話があつたように、この土地は約五十五万坪という話でありますが、そのうちにたまたま旧陸軍の小倉工廠、造兵廠の六千坪があつたのを役所の方でお間違いになつて、それを国有地として、地元民に御相談なく昭和二十七年に新聞に発表された。ところが調べてみますと、昭和二十三年と二十四年の二度にわけまして財務局長名でちやんとそれは国有地として民間に払下げになつておるのであります。その間違いがあつたということを調達庁の方はお認めになりますか。
(参照)

 ここでも6000坪と出ています。

○久保田説明員 この古賀演習場の経緯について申し上げますと、終戦直後、当時接収関係については地方庁が担当されておつたわけでございますが、当時の記録を調べてみますと、軍側が旧日本軍の施設があつたという関係上、これを軍事占領物件として誤認して、この地区をPD地区とした様子でございます。そのまま調達庁ができました際に引継ぎまして、先ほどお話がございましたように、これは一部を除いては軍事占領物件でないということが判明いたしましたから、占領期間中数回にわたつて軍側にこのPDの書きかえ方を要求いたしておつたわけであります。ところが当時としましては事務的に策側の処理ができなかつたまま講和発効になつたような次第でございます。講和発効直後におきまして提供施設として発表された当時は、事務上の誤り等に基きまして旧PD時代のままで一応掲載されたものかと存じますが、ただいまでは民有のもの、国有のもの、はつきり区分はいたしております。
(参照)

 極めてわけの分からない展開ですが、結局この接収は撤回されたと聞いています。

 ちなみに、戦時中は小野国民学校に赤城兵団というものの師団本部が置かれ、福間国民学校に第一大隊、青柳国民学校に噴射推進部隊が置かれたとのこと。
 校舎は兵舎として接収されていたとのことです(古賀町誌459ページ)。
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