湾鉄調査部
元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
広告


プロフィール

therapie

Author:therapie
 元々は鉄道ブログです。
 と言いつつ、福岡市北郊にある新宮、古賀、福津の情報をメインに書いていました。
 筆者転居のため、最近は福岡市内の情報をメインに書いています。
 自分の興味が向いたものを、自分勝手に調査しています。
 今のところ、基本的に毎週日曜日に更新しています。
 お問い合わせはメールフォームからお願いします。



最近の記事



カテゴリ



最近のコメント



最近のトラックバック



ブログ内検索



月別アーカイブ



RSSフィード



リンク


ブログパーツ類
あわせて読みたいブログパーツ

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村 鉄道ブログへ

ジオターゲティング


検索






Join the Blue Ribbon Online Free Speech Campaign


「日本最古の禅寺」とその周辺
 最近福岡では、足元の歴史を見直そうという動きが盛んなようです。
 いい加減新しいビルばかり建てようにも資金が続きませんからねぇ。

 福岡市博多区御供所町の聖福(しょうふく)寺山門前の無染(むせん)池を浄化し、日本最古の禅寺にふさわしい趣のある池にしようと、JR九州の石原進社長や細川白峰住職らが発起人となり、27日、改修事業奉賛会が発足した。九州電力などの地元企業、自治組織、檀家(だんか)など22の個人・団体が参加し、同寺で設立総会を開いた。
 無染池は、戦国時代末ごろからあったとされ、昭和30年代に池の周囲をコンクリート造りにした。現在は水が循環しないため緑色に濁っている。このため石原社長が池の改修事業を提案、今年初めから奉賛会の設立が動きだした。
 奉賛会では、企業・団体や個人に呼び掛け、3000万円を目標に資金を集める。世界的な庭師として知られる北山安夫氏に工事を委託。循環設備を造り、縦約10メートル、横約30メートルの池を1回り広げる。周囲には盛り土や石、こけなどを配し自然に近い状態に戻す。9月末から工事を始め、年内の完成を目指すという。奉賛会会長に選ばれた石原社長は「寺社は文化拠点の1つ。2年後には九州新幹線が全線開通する。金閣寺にも負けない魅力のある池にしたい」と話した。奉賛会事務局は聖福寺=092(291)0775=に置き、浄財を受け付ける。
(日本最古の禅寺にふさわしい趣に 聖福寺の池を改修へ JR九州社長らが奉賛会 博多区・2009/05/28付 西日本新聞朝刊)

 先日このあたりを歩きましたが、大博通りから一歩入った御供所通り(関連記事)は昔ながらの寺町を残す落ち着いた通りです。
聖福寺山門前
 最も、「残す」だけで絶滅危惧な訳ですが・・・(参照)。
聖福寺山門前(遠景)
 そこで、それらの町並みを再生させようという動きも出てきています。

 2011年3月の九州新幹線鹿児島ルート全線開通や新博多駅開業に向けて、駅周辺地区の活性化を考える「博多まちづくり推進協議会」は9日、福岡市博多区のホテルで、方向性を示す「まちづくりガイドライン」の素案を発表した。博多駅周辺地区とキャナルシティ博多周辺を二大拠点と位置付け、「にぎわい・回遊」「交通」「歴史・文化」「環境・緑化」「安全・安心」の五つのテーマごとに具体的な方針と方策をまとめている。
 同協議会は08年4月に発足。博多駅周辺の企業、住民自治組織、福岡市など約130団体で構成し、前身の「博多駅地区まちづくり推進組織準備会」から約2年半かけて、ガイドラインの策定に取り組んできた。
 対象地域は、博多駅を中心にした東西約1.5キロ、南北約1キロの区域。「にぎわい・回遊」のテーマでは、訪れた人の周辺への回遊を促すため観光情報センターの設置、「交通」では都心部への過度な自動車の集中を防ぐため企業間での車・自転車の共有利用‐などを打ち出している。
 同協議会は今後、住民や企業などから素案に対する意見聴取を行い、11月をめどに正式なガイドラインを策定。行政や地元企業などに提案する。
(博多駅とキャナル拠点に 博多まちづくり推進協議会 ガイドライン素案発表・2009年9月10日付 西日本新聞朝刊)

 博多まちづくり推進協議会というのは以前取り上げました。

 意見募集の案内ページはこちら。肝心の素案はこちらにあります。

 具体的には、「近くにある歴史的な寺社が並ぶ地域と、博多駅を結ぶルートを整備し、格子戸を持った建物による町並みの整備なども盛り込んだ」そうです(参照)。

 で、聖福寺自体も結構荒れ気味で、拝観できるのはごく一部のようです。
 こういった文化遺産が身近になればいいなぁと感じました。

<日本最古の禅寺は京都の建仁寺?>

 しかし、一般的に日本最古の禅寺とされるのは京都の建仁寺(けんにんじ)のようです。

日本最古の禅宗本山寺院―建仁寺
 臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。山号は東山(とうざん)。諸堂は中国の百丈山を模して建立されました。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となりました。800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。
(参照)

 まあ、古いといっても福岡ですし、京都に敵うわけありませんものね。

<古さで言えば聖福寺に間違いないが・・・>

 ところが、このような記事もあります。

ついでにもう1つ断っておくと、「日本最古の禅寺」という通説も、厳密には正しいとは言えない。
ちなみに、建仁寺の公式ウェブサイトでは「京都最古の禅寺」、臨済宗黄檗宗連合各派合議所の主宰する臨済禅黄檗禅公式サイトでは「日本最古の禅宗本山寺院」と表記されている。
わが国禅宗のフロンティアが開山であるから、「日本最古の禅寺」という一般説はきわめて通りのよい話ではあるが、「最古」という語の解釈には非常に微妙な部分があるのである。
(参照)



臨済宗大本山 建仁寺

臨済宗建仁寺派の大本山。
開山は栄西禅師、開基は源頼家。
鎌倉時代の建仁2(1202)年の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。山号は東山(とうざん)。
諸堂は中国の百丈山を模して建立されました。

創建当初は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第11世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となりました。

800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。

なお、よく日本最初の禅寺と言われますが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺です。
(参照)

 なるほど確かに建仁寺は「京都最古の禅寺」を自称なさっているようです。

 聖福寺は栄西禅師が宋から帰って直後、1195(建久6)年に建てたのだそうで、かの源頼朝が開基。元々宋の人が建立していた百堂の跡に建立されたのだそうです。
 確かに建仁寺よりも古い栄西が建てた寺ですし、三門には後鳥羽天皇が贈ったとされる「扶桑最初禅窟」なる額が掲げられています(参照参照)。

 ただ、元々建仁寺派だったそうで、後輩の部下です(^_^;)
 後に黒田長政が妙心寺派に転じさせたとのことですが、つまりさらに後輩の部下になったわけですな(^_^;)
 でも、現在の敷地は戦火や太閤町割りなどの影響で全盛期の4分の1に過ぎないそうですが、それでも結構広いです(参照)。

<他にもある「日本最古の禅寺」>

 しかし話はそれだけでは済みません。日本最古の禅寺は他にもあるようなのです。

南宋での留学から帰った栄西は、実はまず、1195年(建久6)九州博多に聖福寺を開いたのであった。
ここでたちまち「日本最古説」は崩れ去る。
さらに栄西は、1200年(正治2)、鎌倉に寿福寺を開く。
となれば建仁寺は、少なくとも日本で3番目以降の禅寺ということになる。

実際に栄西が建仁寺を開いたのは、これらに遅れる1202年(建仁2)のことである。
しかも、このときの建仁寺は、臨済禅だけでなく天台、密教の道場も兼ねた三宗兼学の場であり、純粋な禅宗寺院ではなかったのだ。
(参照)

 また、同じ頃栄西が開いた寺の中に「日本最古の禅寺」を名乗っている所が何ヶ所かあるようです。

 例えば1192年に栄西禅師を招いて創建したとされる久留米市の龍護山干光寺(リゅうござんせんこうじ)も日本最古の禅寺の一つ(参照)を名乗っていますし、「建久5年(1194年)島津家初代忠久が創建し臨済宗禅の祖栄西禅師が開山した」鹿児島県出水市の鎮国山感応禅寺もそうです(参照参照)。

<既存宗派の迫害?>

 最も、こんなに最古が林立しているのは、当時の宗教的な事情もあるようです。

そもそも栄西の本意としては、最初から京都に禅宗専門の寺院を開きたかったに違いない。
何事も日本を制するには京都を制しなくてはならないという時代。しかも仏教においてはなおさらだった。
しかし、それを許さなかったのは当時の日本の勢力地図。
宗教的に政治的にも比叡山延暦寺の勢力がきわめて強かったがために、真っ向から天台宗を無視したような寺院を建てると、迫害を受けることは必定だった。
はるばる南宋で禅の真髄を知り、伝道の熱い思いとともに帰国した栄西が、博多、鎌倉と回り道をしたのもそのためだったと見て間違いはなかろう。

かくなる事情で、念願の京都に開いた建仁寺でさえ三宗兼学としたわけだが、それでもなお、風当たりは強かった。
禅僧の着る袈裟は他宗派の袈裟より大きかったらしいが、そういう瑣末なことですら、「何を、生意気な」と激しい非難の的となった。
「大袈裟」という言葉はこれに由来するという説もある。
(参照)

 憶測も入っていますが、当時純粋な禅宗の寺を作ることは困難だったようです。
 ですから、どこが一番古い禅寺かというのも難しいのでしょう。だから「最古の禅寺の一つ」とでも言うしかないということなのでしょうか。

<純粋な禅寺として創建されたのは鎌倉の建長寺が最初?>

 最も、純粋な禅寺として創建されたのは鎌倉の建長寺であると言われているようです。

建仁寺が禅宗の単独道場となるのは、創建から半世紀以上、栄西の没後44年を経た正元元年(1259年)のこと。
なお、それよりも早い1253年(建長5)、鎌倉で日本最初の禅宗専門の寺院として建長寺が創建されている。
建長寺は、鎌倉幕府5代執権として権力を握り、禅宗に深く帰依した北条時頼が宋からの渡来僧・蘭渓道隆を招いて開いたもので、建仁寺が純粋な禅寺となったのも、時の権力者の信頼を背負った蘭渓道隆がその後、建仁寺第11世として入寺したことによる。
このころになり、ようやく武家政権が定着し、禅宗の時代が訪れたのだ。
(参照)


建長寺派
1253年に鎌倉幕府五代執権 北条時頼が中国(宋)から招いた蘭渓道隆(大覚禅師)が開山した鎌倉の建長寺を本山とする。建長寺は日本で初めて純粋な禅の道場が開かれた日本で最初の禅寺で、一時は1000人以上の禅僧が修行をしていた。 • 外部リンク • 建長寺
(参照)


<ちなみにお茶も栄西>

 で、日本に禅を持ち帰った栄西は、同時にお茶も持ち帰ったとされています(参照)。

 ほほう。じゃあ、福岡市城南区茶山あたりで日本初の茶の生産をしたのかと思ったら、茶山は単に黒田の殿様が狩りの途中に茶を飲む所だったのだそうです(参照)。

 で、初めてお茶を栽培したのは背振山の佐賀県吉野ヶ里町東脊振にある霊仙寺。
 栄西が霊仙寺石上坊の庭に茶の種をまいたのが日本最初のお茶栽培とされている(参照)ようです。
 ちなみに、「日本最古の茶園」は京都高山寺にあるのだそうです(参照)。

<うどん・まんじゅう・そば・椿油・・・>

 聖福寺から表の大博通りに出て博多駅側に行って少し奥まった場所に承天寺(じょうてんじ)という寺があります。
 こちらは1242(仁治3)年に宋の貿易商謝国明が建立し、聖一国師(円爾)が開いた寺です。
承天寺
 聖一国師は製粉技術を持ち帰ったとされ、福岡ではうどんやそばやまんじゅうや羊羹等の日本発祥の地はこの寺だとされています。
 承天寺には、「饂飩蕎麦発祥之地」なる石碑があります。

 うどんの由来については諸説あり、聖一国師持ち込み説は一説に過ぎないようです。
 当時は切麦と呼ばれていたとのこと(参照)。

 饅頭の伝来については2系統あるとのことですが、そのうち古いほうが聖一国師の紹介なのだそうです(参照)。
 ただし、承天寺で作られたわけではなく荒津山(現在の西公園)の茶屋の主人栗波吉右衛門に作り方を教えたのだそうで、聖一国師が主人に与えた「御饅頭所」という看板がなぜか東京の虎屋にあるのだそうです。
 ちなみにその茶屋は虎屋という屋号だったそうですが、現在の虎屋との関係は不明とのことです(参照)。
 現在の虎屋の創業は1500年代後期の京都とされているそうです(参照)。

 蕎麦についてはどうも文献では確認できていないっぽいです(参照)。
 羊羹についても諸説あるようです(参照参照)。
 前掲の虎屋サイトによれば、「承天寺では国師が中国から『羹・饅・麺』をもたらしたとして、今も命日に羊羹、饅頭、うどんをお供えしてい(参照)」るとのことで、承天寺に伝わっているお話なのかもしれません。

 また、福岡市の特産品である博多織や著名なお祭りである博多祗園山笠とも関係あるそうです(参照参照)。

 また、郊外の城南区油山に油山観音正覚寺という寺があります。
 先日、重要文化財の仏像が盗まれた所ですね(参照)。
油山観音正覚寺
 こちらは天平年間に渡来した清賀上人(せいがしょうにん)が作った寺だそうで、ここでは日本ではじめて椿からの製油が行われたとされています(参照参照参照)。

 他の寺でも色々渡来しているもんで、色々見て歩くと面白いです。

<○△□>

 聖福寺といえばこんなイベントも。

 「仏像再興のための花見・落語会 in 聖福(しょうふく)寺」(西日本新聞社など後援)が4月6日午後2時半から、福岡市博多区御供所町の聖福寺方丈で開かれる。定員250人。
 聖福寺は臨済宗の祖、栄西(ようさい)禅師(1141‐1215)が開いた日本最古の禅寺。2014年の栄西800回忌に合わせ、開山時にあったとされる釈迦(しゃか)、阿弥陀(あみだ)、弥勒(みろく)の「丈六三世佛(じょうろくさんぜぶつ)」復元を目指している。落語会の収益は、仏像復元費に充てられる。 高座を務めるのは落語家の柳家さん喬(きょう)さん。古典落語に加え、同寺の名物和尚だった仙〓(せんがい)さんにまつわる小話などを披露する予定。午後2時からは抹茶のサービスもある。木戸銭(入場料)3000円(当日3500円)。チケットは同寺にて販売。同寺=092(291)0775。 (〓は「がんだれ」に「圭」)==
(日本最古の禅寺で笑いを 聖福寺で落語会 収益で三世佛復元 柳家さん喬さん高座 4月6日・2008年3月18日付 西日本新聞朝刊)

 一応、このパソコン上では「仙義梵(参照)」ときちんと表示されているようです。
 便宜上「仙涯」と書く人もいるようです。地元では結構人気がある人のようです(参照参照参照)。

 元々は岐阜県の方らしいのですが、福岡で活躍されたということで福岡県出身の出光さんも好まれたのでしょう。出光美術館で収集されているようです(参照)。

 えっと、そういやこの「○△□」っていう絵(参照)見たことがあるぞ。
 そいいや確か基山かどこかの工事現場でこういう社名の会社を見たんですよ。
 なんて読んでるんだろう・・・。

【2009年10月23日追加】

 かなり古いですが手元にある山川出版社の県史シリーズ福岡県の歴史によれば、

建久二年(一一九一)、かれは再度の入宋を果たして帰国した後、香椎宮の傍に建久報恩寺を建て、新しい禅宗の第一声をあげた。のち栄西は北九州の各地に伝道したが、筑前の妙徳寺・東林寺・千光寺、筑後の千光寺などを開いたのはこの時だと伝えられている。こうして禅宗は非常な勢いで九州に弘まりはじめたので他宗から排撃をうけるようになった。筥崎宮の僧良弁は栄西の名声をねたみ比叡山の衆徒を誘い朝廷に強訴したため、朝廷は建久五年(一一九四)七月、栄西の禅布教を停止した。かれの「興禅護国論」はこの動きに対抗して著わされたものである。翌年、京都での対決を避けて博多に下ってきた栄西は聖福寺を建立した。この地にはもと宋人の建てた百堂があったが、当時は空き地になっていた。今の聖福寺境内からはよく宋時代の陶磁器が発掘される。宋商たちの居留地だったことを物語るものである。建立ののち後鳥羽上皇から”扶桑最初禅窟”の勅額を下されたという。
(平野邦雄・飯田久雄 県史シリーズ福岡県の歴史 山川出版社 1974)

とあります。

 つまり、聖福寺は「上皇から始めて認められた禅寺」ということなのでしょうか。

 ちなみに建久報恩寺は1192(建久3)年に建立されたとのこと(参照参照)。一応報恩寺という寺は残っているようですが、同じ寺なのでしょうか。

 筑後の千光寺については本文中に書きましたが、妙徳寺(これ?)、東林寺(これ?)、筑前の千光寺についてはよく分かりませんでした。

【2009年12月10日追記】

 少し出てきていた承天寺ですが、実は寺の境内を市道が横切っています。

 これについてはちょっと面白い記事が・・・。

 福岡市博多区博多駅前の古刹(こさつ)、承天(じょうてん)寺の境内が市道で分断されている問題で、歩行者専用道への転用を陳情した地元住民や町づくり団体などのメンバーと同市が話し合う意見交換会が30日、同寺であった。
 意見交換会には約20人が参加。市は道路の規制権限を持つ博多署と協議を進めながら、歴史的な景観を生かし承天寺が連続した境内となるような整備計画案を検討中であることを説明。参加者からは「境内がつながるように、道路の一部に通行止めを設置しては」「市道をどう整備するかは、町を再生させる際のテストケースになる。市全体として、どういう将来ビジョンを持つかの視点も必要」などの意見が出された。
 また、市が進める整備計画案づくりに参画する検討組織を、地元住民や学識経験者らで立ち上げることも確認した。
 市道は長さ156メートル、幅16メートル。1963年の旧国鉄博多駅移転に伴う区画整理事業の際に、山門や仏殿が本堂と分断された。博多祇園山笠発祥地とされる同寺の景観を損ね、観光や参拝の支障にもなっているという。
(「市道が承天寺分断」で意見交換会 市「整備計画を検討中」 博多区・2009年12月01日付 西日本新聞朝刊)

 山門を入って仏殿を見て裏に回るとなぜか道路に出るという不思議な作りですからね・・・。
 面白いと言えば面白いのですが、どのように整備されるのか興味津々です。

【2010年1月18日追記】

 こんな記事を見つけました。

 ホテル日航福岡(福岡市博多区博多駅前2)で2月27日、昨年11月に建立された「御饅頭所(おんまんじゅうどころ)」の碑の完成祝賀会が開かれ、関係者や全国の菓子業者ら270人が祝った。主催は約45の菓子店が加盟する福岡市菓子共同組合
 同碑は、まんじゅう発祥の地とされる博多区御供所町の承天禅寺に昨年11月29日に完成。博多織の開祖とされる「満田弥三右衛門の碑」と同寺を開いた聖一国師が持ち帰った製粉技術により発祥したとされる「饂飩蕎麦(うどんそば)の碑」の間に完成した。
 九州大学の川添昭二名誉教授らの「中世博多の禅寺と生活文化をテーマにした講演」の後、集まった関係者らで祝賀会を行い、吉田宏福岡市長や海老井悦子福岡県副知事をはじめ、承天禅寺の神保至雲住職らも出席した。
 同組合の田中治雄理事長は「福岡には観光がないと言われるが、中世からの博多の伝統と文化がある。博多の歴史と文化を、自信を持って発信していければ」と参加者らに呼び掛けた。
(「御饅頭所」の碑、建立祝賀会-ホテル日航福岡で関係者ら祝う・2009年3月2日付博多経済新聞)


【2012年10月25日追記】

 写真を4枚追加しました。
関連記事
スポンサーサイト

にほんブログ村 地域生活ブログ 福岡情報へ にほんブログ村 政治ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログへ

テーマ:福岡 - ジャンル:地域情報


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://wantetsu.blog61.fc2.com/tb.php/904-ffede1b0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



当ブログはリンクフリーです。
ただし、匿名掲示板からのリンクは管理者であろうとも禁止します。
不適当だと判断したコメント・トラックバックは掲載しません。
情報の正確性には常に留意しておりますが、その検証能力には限りがあります。
このサイトにより生じたいかなる損害においても責任は負いかねますのでご了承ください。