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元々鉄道ブログですが、福岡県古賀市、新宮町、福津市の情報に移行、その後福岡市近郊の情報に寄り道した後、心理学と障害者福祉に関心を移しています。
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 元々は鉄道ブログです。
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舞鶴公園とその周辺~福岡城址
 先日、大濠公園周辺を旅(?)しましたが、今回はお隣の舞鶴公園を見てみます。
舞鶴公園
 この「舞鶴公園」って名前、福岡城のあだ名が「舞鶴城」だったかららしいのですが、確か唐津城も大分城も「舞鶴城」だったような・・・。
 全国舞鶴城サミットとかやれそうな勢いです。

<下の橋大手門(渦見門)と伝潮見櫓>

 福岡城と言われて僕たち一般庶民が一番馴染みがあるのがこの2つです。
 福岡市中心部を東西に貫く明治通(貫線)沿いのお堀端に建っているので嫌でも目にするからです。
下の橋大手門(渦見門)
 道路からは見えにくいのですが、下の橋大手門(渦見門)は福岡城にあった城門のうちで現在のところ本来の位置にある唯一の門なのだそうです。
 この福岡城三の丸の堀には東側の上の橋、西側の下の橋の2つの橋とそれぞれの門があったようですが、これは下の橋にあった門だそうです。
 本来は二層の櫓門だったようですが、なぜか明治期に一層に改められたのではないかと去れているようです。

 ところが2000(平成12)年8月の不審火で焼失。平成18年から20年にかけて二層に復元されています(参照)。
 ところが、この形は本来と違うのではないかという論争も起きている(参照)のだそうで、なかなか難しいところです。

 その門のすぐ横にあるのが潮見櫓と呼ばれている櫓。
伝潮見櫓
 潮見櫓というのは元々「三ノ丸北西角(福岡城の西端角の土塁の内側)に建てられたもので、遠く玄界灘、博多湾の形勢を望み、海上からの防禦を担った」のだそうです。
 で、今ここに建っている櫓は大正の始め頃に浜の町の黒田氏別邸に移されたのだそうですが、そこが戦後になって検察庁に譲渡されて解体されることになったのだそうです。
 そこで、福岡郷土博物館建設委員会によって本来の位置に戻すことにしたのだそうですが、その場所は当時米軍の駐車場。
 仕方なしに昭和31年に現在地に移されたのだそうです。

 ところが、1991(平成3)年に旧福岡城月見櫓とされた崇福寺仏殿の一部が実際は潮見櫓であったということが明らかになり、現在この櫓の名称は不明ということになっています。
 一説では、この櫓は本丸裏御門の西に建っていた時櫓(太鼓櫓)であったのではとも言われているようです(参照)。

 ちなみに崇福寺は1241年に大宰府に創建されましたが、福岡城築城の際の1660年に現在地に移り、黒田家の菩提寺となりました。
 この潮見櫓(月見櫓とされているもの)、花見櫓の他にも福岡城表門が移設されています(参照)。
崇福寺山門

<名島城城門>

 下の橋大手門と潮見櫓?の裏、福岡国際マラソンの出発地である平和台陸上競技場の向かいに小さな門があります。
 小さいといっても充分でかいのですが・・・。
 これは旧名島城の脇門。なぜか外国人観光客も見ていました。
名島城城門
 名島城は小早川隆景が1587(天正15)年に福岡市東区名島の海沿いに築いた城です。
 黒田長政は当初ここを居城にしていました。

 慶長年間に福岡城が築かれた際、黒田24騎と呼ばれる武将の1人である林掃部にさげ渡されて、邸宅の門として使用されていたとの言い伝えだそうです。

 明治期中頃に長崎の商人に買い取られて長崎に移築されそうになったところ、当時の代議士平岡浩太郎が買い取って天神にあった自宅の門として移されたのだそうです。
 ところが戦後に福岡富士ビルディング(参照)が建設された際に孫の手によって現在地に移されたのだそうです(参照参照)。

<母里太兵衛邸長屋門>

 母里太兵衛とは、槍を構えつつでかい盃を小脇に抱える博多人形のモデルとなった人物です。
 「酒はのめのめ~♪」という黒田節(筑前今様)のモデルですな。
 まあ、同じ事ですが。

 この人、先に出た黒田24騎のお一人で、酒好き。
 殿様から福島正則へ酒飲むなよ~と使いをするように言い渡されたのですが、福島正則から「飲め貴様~」といわれたからさあ大変。
 「福島さんが大事にしてる名槍日本号をくれたら飲むわい」と飲んで槍をもらっちゃったとかいうとんでもない話です。
母里太兵衛邸長屋門
 母里太兵衛の屋敷も天神にあって現在の野村證券福岡支店(福岡天神センタービル:野村不動産が所有しているらしい・参照)の土地だったようですが、昭和27年にビル建設のために取り壊され、昭和40年に現在地に復元されたようです(参照参照)。

<天守台>

 福岡城は、一般的には天守閣がなかった城として知られています。
 外様であった黒田氏が、野心がないことを示すためにわざと作らなかったとか。

 ところが近年になって、実は天守閣はあったのだけどすぐに取り壊されたのだという説も浮上しているようです。
 まあ、例え一時期作られていたにせよ、取り壊されたのも一つの歴史です。

 いずれにせよ、天守台は残っています。
 結構登ると景色がいいです。
福岡城天守台より海岸方面福岡城天守台より大濠公園方面
 天守台に上る途中、唯一当時の位置にあるという南丸多聞櫓があります。
 この櫓は昭和47年10月から昭和65年3月までの間に解体復元を行ったのだそうです(参照)。
南丸多聞櫓
 また、天守台の下に板張りの壁の櫓がありますが、こちらは祈念櫓だそうです。
 本丸東北の隅に鬼門封じのために建てられたのだそうです。
祈念櫓
 これも1918(大正7)年に陸軍省から崇福寺が払い下げを受けたのだそうで、末寺の北九州市八幡東区東台良の大正寺観音堂として使用されていたのだそうです。
 1983(昭和58)年に旧位置に戻されたのだそうです。

 ところが現在の外観は昔とかなり違うとの話もあるようです(参照)。

<平和台陸上競技場と城内の集落>

 で、この福岡城址全体を歴史公園化する計画なのだそうです。
 既に西鉄ライオンズの本拠地だった平和台球場は取り壊され、国立福岡中央病院は福岡ドーム横の地行浜に移転しています。
国立福岡中央病院跡地
 また、福岡高等裁判所も移転する予定だそうです。
 場内には戦後すぐの住宅難解消のためにと住宅が建てられているのだそうですが、その住宅も徐々に移転し、空き地が目立つようになってきています。
城内の住宅地
 平和台陸上競技場はどうなるんでしょうかね。
平和台陸上競技場

【2013年1月17日追記】

 多聞櫓と祈念櫓の写真を追加しました。
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